2月21日
「海の老人」はアガメムノーンを待ち受けていた悲劇も語る。彼の帰国を迎えたアイギストスが、
τὸν δ᾽ οὐκ εἰδότ᾽ ὄλεθρον ἀνήγαγε καὶ κατέπεφνεν
δειπνίσσας, ὥς τίς τε κατέκτανε βοῦν ἐπὶ φάτνῃ (534,5)
破滅に気づかない彼(アガメムノーン)を連れてきて殺した
食事を供してから、あたかも牡牛を飼葉桶の傍らで殺すように
簡潔にして喚起力に富んだ比喩だ。詩行(535行目)の行頭にδειπνίσσας(食事を供して)、行末にφάτνῃ(飼葉桶)を配し残酷なまでに効果を高めている。メネラーオスは泣き崩れるのだが、この比喩からは兄の悲劇を初めて耳にしたメネラーオスの衝撃が伝わってくる。
アガメムノーンにしろメネラーオスにしろ、いずれも『イーリアス』において主人公であっておかしくない位置にある。アガメムノーンは総大将だし、メネラーオスは戦争の原因となった略奪の被害者、当事者だったのだから。しかし、アガメムノーンは資質や人格に難があるし、メネラーオスも他の勇士達、アキレウス、オデュッセウス、ネストールそしてヘクトールといった群像に比べると今ひとつ精彩を欠く。そういう二人ではあるが、兄弟仲はよかったようだ。
図書館に寄ったついでに、先日の「いけしゃあしゃあ」について調べてみた。江戸語の辞典類を見るとやはりあった。そして用例として川柳の
入れ髪のいけしゃあしゃあと仲の町 (柳多留)
が引かれている。「入れ髪」は僧形を隠す付け髪、「仲の町」は吉原の中央通りだから、成る程これは「いけしゃあしゃあ」の例文のためにあるような一句だ。