2月1日
第3歌に入る。
夜を徹して航海したテーレマコス一行は、明け方老将ネストールの治める国ピュロスに着く。そこで、ホメーロス時代のある心性を明らかに示す二つの面白いやりとりがある。
一つ目は、アテーネーからの父の消息をネストールに直接尋ねるべしとの勧めに対するテーレマコスの答えだ。
αἰδὼς δ᾽ αὖ νέον ἄνδρα γεραίτερον ἐξερέεσθαι (3-24)
それに若輩の身で年長の方に問いかけるのは躊躇されますので
もう一つは、少し先で、迎えたネストールの息子が杯を先ず(アテーネー扮する)メントールに渡しながら言うことばだ。
ἀλλὰ νεώτερός ἐστιν, ὁμηλικίη δ᾽ ἐμοὶ αὐτῷ:
τοὔνεκα σοὶ προτέρῳ δώσω χρύσειον ἄλεισον (3-49,50)
しかしこちらの方(テーレマコス)はお若い、私と同じ年頃
ですのであなたに先に金の杯をお渡ししまょう
長幼の序はホメーロスの時代にもあったのだった。もっとも前者の方は、テーレマコスが自らの気後れの言い訳をしている気味合いもあるから、若干割り引いて見なければならない。しかしそれにしても、理由付けとして持ち出すにたる倫理、心性であったことに違いはなかろう。
きのうの結び目の話、家内は「縁起がいい」といっていたが、そんな言い伝えがあるのだろうか。そば、うどんなどの麺類などでも結び目ができてるといいことがあるというのだが。
2月2日
例によって、乾杯と食事が済んで「飲み物の欲も食べ物の欲も追い払われたとき」、おもむろに主人ネストールは客人たちに用向きを尋ねる。
テーレマコスはネストールに、父の消息を求めてきたことを告げこう付け加える。
μηδέ τί μ᾽ αἰδόμενος μειλίσσεο μηδ᾽ ἐλεαίρων,
ἀλλ᾽ εὖ μοι κατάλεξον ὃπως ἤντησας ὀπωπῆς (3-96,7)
決して遠慮や哀れみからお話に加減なさらぬよう
あなたが目の当たりにしたそのありのままをお話ください
テーレマコスが若輩にもかかわらずこういう人間心理の機微を明確に意識していることは驚きだ。と同時に、それを三千年近くも前の詩人が的確に表現していることは更なる驚きだ。
ところで、用件より先ずは食事と言う礼儀風習は、似たようなことが我々の世界にもあることに気づいた。話があって誰かを食事に誘う。大事な話であればかえってすぐではなく、酒も二本目ぐらいになっておもむろにということがある。へたをすると結局一言も触れずじまいということもある。
2月3日
尋ねられたネストールは答える。トロイア戦役について、死すべき人間にどうして語り得ようか、
οὐδ᾽ εἰ πεντάετές γε καὶ ἑξάετες παραμίμνων
ἐξερέοις ὅσα κεῖθι πάθον κακὰ δῖοι Ἀχαιοί (3-125,6)
仮にあなたが5年も6年も逗留して
勇敢なアカイア勢が彼の地で被ったかぎりのことを尋ねても
と。
戦争と文学ということを考えさせられる。『イーリアス』が戦記文学だとすれば『オデュッセイアー』は戦後文学だ。散逸した「トロイア叙事詩圏」の他の詩編もそうであったろうし、続く悲劇にもそれはある。人間にとって、戦争や災禍を描きその意味を問う作業は一朝一夕にできることではない。才能や詩心はもとより、途方もない努力を要するのだろう。そして熟成のための時も。両詩編の成立はトロイア戦争のおよそ五百年後だった。
夜会合を終え、帰って部屋に入ったとたんグシャと何かを踏みつぶした。豆だ。そうだ今日は節分だった。
「鬼」ということばは本当に表現力に富んでいる。罵倒するときの「オニ!」、「鬼の目に涙」、「鬼のいぬ間の洗濯」、「土俵の鬼」、「鬼の霍乱」など枚挙にいとまがない。「オニゴッコ」や「手つなぎオニ」もあった。先日は「鬼柚」というのを知った。巨大な柚だ。若者ことばの「鬼腹減った」、「鬼かわいい」もある。『源氏物語』には「心の鬼」の語があった。「良心の呵責」とか「疑心暗鬼」とかの意だ。以前、囲碁解説の棋士が局後の検討で「これがオニテ(鬼手)だった」と評していたのを耳にしたことがある。普通はキシュと読むのがろうが、「オニテ」の音が生々しく一手の凄さを感じさせた。
豆踏んで心の鬼に気づきけり 拙作