1月27日


テーレマコスは旅支度にかかり、天井の高い納戸へ降りていく。そして、そこを守っている媼に十二個の甕を酒で満たすようにいう。


ἡδύν, ὅτις μετὰ τὸν λαρώτατος ὃν σὺ φυλάσσεις
κε
ῖνον ὀιομένη τὸν κάμμορον, εἴ ποθεν ἔλθοι (2-350,1)

甘いのをだ、お前が大切にしている奴の次に美味のをだ、

不運なその人(オデュッセウス)がいつ帰ってこられるかと思って(大切にしている奴の)

心からオデュッセウス帰還を待ち受けている者が肉親以外にもいる。この媼エウリュクレイアがその一人だ。ὀιομένη [oîomenê](思って、待ち受けて)の音には心なしか真情がこもっているようだ。


鳥取のズワイガニ漁の紹介番組があった。ズワイガニと松葉ガニの関係が今ひとつ分からなかったのだが、どうも両者同じものであって、ただ後者は鳥取などの地域ブランドの名称ということだ。

ところでズワイガニの「ズワイ」とは何か。これも今回初めて知ったのだが、古語「すわえ、すばえ」(=真っ直ぐ伸びた小枝)から来たらしい。(この「すばえ」枕草子にもの用例がある。「ほそきすばえをしてさし寄せむに」第227段)ズワイガニは足が枝のように細く伸びているからだ。「松葉」の方も同様だ。


1月28日

曳家職人という職業があることを知った。昨年の震災以来、その技術が買われ大忙しなのだそうだ。元々は歴史的な建築物などをそのままの姿で移動して保存する技術だ。それにしても「曳」という懐かしい字を思いがけないところで目にするものだ。「曳」などという字の入った熟語は、曳航と揺曳くらいしか浮かばなかった。そうだ、あと「曳舟」が墨田区の地名にあった。そこでは小舟を岸から曳いたのだろう。

旅支度ができ、アテーネーの助力もあって、いよいよ船を出す準備が整った。

そこで、

ύσετό τ᾽ ἠέλιος σκιόωντό τε πᾶσαι ἀγυιαί (2-388)

日が沈んで道々がすべて翳に蔽われると


船を海へと引き下ろす。


この第2歌の冒頭は夜明けだった。


ἦμος δ᾽ ἠριγένεια φάνη ῥοδοδάκτυλος Ἠώς (2-1)

早く生まれて薔薇色の指持つ暁が姿を現すと

集会でのテーレマコスの訴え、求婚者の反論、さらに館に戻っての応酬、旅支度。第2歌の終わり近くなって、長かった一日も終わろうとしている。

「薔薇色の指持つ暁」の色彩感覚もいいが、「道々がすべて翳に蔽われると」の措辞もいい。イタケーの町の情景が浮かんでくる。



1月29日


昨日の「曳」の字、漢和辞典を調べてみたら、解字として「象形。絡み合ったひもの一方を両手で引き上げる形にかたどり、ひくの意味を表す」とあった。確かに「曳」の字体を見ると知らず知らず「ひく」イメージが湧いてくる。漢字の字体は、かなりデフォルメされてるとはいえ、もともと象形文字なのだから固有の形象イメージがあるのは当然だ。このことと擬音に固有の音声イメージがあること、この間には何かしら通じるものがあるのかどうか。興味深い問題だ。

さて出航だ。この出港時の情景描写は、海洋民族にとって船旅がいかに身近で、かついかに心躍らせるものであったかを如実に示している。

「テーレマコスが仲間達を促して舟索にかかれと命ずると、彼らは命に応じて樅の木の帆柱を持ち上げ帆柱受けの凹みの中に据えて前綱で固定し、ついで頑丈に縒った牛皮の綱を引いて白帆を張る。風は帆の真ん中をふくらませ、舳先の辺りでは泡立つ波が高く叫ぶ、船が進むにつれ。こうして船は波間を馳せ航程を渡っていった」(2-422~9)

「白帆を張る」とか、それに続く2行


ἔπρησεν δ᾽ ἄνεμος μέσον ἱστίον, ἀμφὶ δὲ κῦμα
στείρ
ῃ πορφύρεον μεγάλ᾽ ἴαχε νηὸς ἰούσης (2-427,8)

風は帆の真ん中をふくらませ、舳先のまわりでは

泡立つ波が高く叫ぶ、船が進むにつれ


この辺りからは船旅に臨む海洋民族のはやり立つ心の昂ぶりが聞き取れるようだ。
そして最後の「νηὸς ἰούσης船が進むにつれ」。文法的には独立属格と言われる語法だ。ここでは自在でテンポのよいこの語法の特徴が遺憾なく発揮されている。