1月24日
集会を終えると、テーレマコスは一人になりアテーネーに呼びかける。
Τηλέμαχος δ᾽ ἀπάνευθε κιὼν ἐπὶ θῖνα θαλάσσης,
χεῖρας νιψάμενος πολιῆς ἁλὸς εὔχετ᾽ Ἀθήνῃ(2-260,1)
テーレマコスは皆から離れて海の渚に行き
白い潮で手を清めアテーネーに祈願して言った
神に祈り、呼びかける時はしばしば海に向かう。『イーリアス』においても最初の祈願の場面は同様だった。「黙って波音高い海の渚に行き、はるかに皆から離れて老人は祈った」(『イーリアス』1-34,5)そういえば二回目の場面もそうだった。これはアキレウスの母親たる女神に対する祈りだ。「泣きながら仲間達から離れて白き海の渚に座り、葡萄酒色の海に目をやり(祈った)」(『イーリアス』1-349,50)
海と神のつながりは強い。民族によっては山と神、あるいは木や石と神のつながりが見られるが、ホメーロス世界では圧倒的に海だ。
テニスで今錦織がめざましい活躍だ。世界大会でベスト八進出というからたいしたものだ。ところでこの由緒ありそうな名は「ニシコリ」と読まれている。同じ錦織と書いて「ニシコオリ」の読みもある。もともとは「ニシキオリ」だったのだろうから、これらも、昨日の「毀損」というほどではないが、音韻変奏の一例だ。そういえば別役実も出身地高知では「べつやく」ではなく「べっちゃく」だと聞いたことがある。
1月25日
アテーネーは旅立ちの困難さを嘆くテーレマコスを励まして言う。
οὐδέ σε πάγχυ γε μῆτις Ὀδυσσῆος προλέλοιπεν,
ἐλπωρή τοι ἔπειτα τελευτῆσαι τάδε ἔργα (2-279,80)
オデュッセウスの知謀がお前を全く見捨ててはいない
それならその仕事を成し遂げる希望はある
「希望はある」と訳したが実は原詩に「ある」に当たる語はない。「それ故その仕事を成し遂げる希望が」といいさした名詞句だ。近代語ならあるはずのBe動詞がない文はホメーロスではよく出逢う。それは、韻律上の要請という側面もあろうが、詩行を小気味よいリズムで引き締める効果を持っているようだ。
武蔵境まで所用で出かける。横浜からだと何とも遠い。それに寒い。冬帽と襟巻は手放せなかった。この「襟巻」ということば、先日使ったら笑われた。ほとんど死語らしい。
1月26日
昨日の襟巻きはマフラーにとって代わられたが、帽子はやはり帽子だ。ハットとかシャッポーとか言ったら気障だろう。ところでこの帽子、俳句の季語であったかなと調べてみたら、帽子ではなく冬帽子としてあった。ほかに夏帽子、春帽子がある。春帽子はもはや寒さ対策ではなく、かといって強い日差除けというほどでもないからおしゃれの意味合いが濃いようだ。秋帽子の季語がないのも面白い。
館に帰ったテーレマコスはアンティノオスの「一緒に飲もう」という誘いを退ける。そして、
ἦ ῥα, καὶ ἐκ χειρὸς χεῖρα σπάσατ᾽ Ἀντινόοιο (2-321)
こう言うとアンティノオスの手から(自分の)手を振り払った
少し前でアンティノオスがテーレマコスの手を捕まえる場面があった。「アンティノオスはは真っ直ぐにテーレマコスに歩み寄ると、その手を握り締め呼びかけてこう言った」(2-301,2)
アンティノオスといえば求婚者達の一人で、集会において、母親を実家に返せだの今後もオデュッセウスの館で飲み食いを続けるだの言った男である。そんな男に媚びか嘲笑か分からぬが作り笑いをされながら手を握りしめられたら、振り払いたくもなる。もっとも、「振り払った」と訳したσπάσατ᾽は直訳なら「抜き出した」だ。日本語としては熟してないが、こういう仕草もあり得、これはこれで感じが出ている。