1月8日
昨日読んで引用しそびれた箇所がある。オデュッセウスの父ラーエルテースが登場するところだ。この箇所は見過ごせない。登場とはいっても本人が登場するわけではなく客人(アテーネー)によって言及されるのみだが。
客人を装っているアテーネーは、自分の家系とあなたの家系が何世代にもわたる交誼の関係であった、そのことはラーエルテースにきけば分かるという。
そのラーエルテースは決して町中に来ることもなく、田舎にこもって苦労している。いま不在であるとはいえ一国の王の父親がである。そしてそこには媼が一人いて飲食の世話をしている。
παρτιθεῖ
, εὖτ᾽
ἄν
μιν
κάματος
κατὰ
γυῖα
λάβῃσιν
ἑρπύζοντ᾽
ἀνὰ
γουνὸν
ἀλωῆς
οἰνοπέδοιο
. (192,3)
世話をしている。疲れが足を捉えるとき、
彼が葡萄畑の坂をを這いずり回って
ἑρπύζοντ᾽
[herpyzont](這いずり回って)も感じが出たことばだ。どこか心に残る詩行で耳にしたことがあると思って調べてみたら、同義同根の変化形ἑρπειの形で『イーリアス』にあった。
οὐ
μὲν
γάρ
τί
πού
ἐστιν
ὀϊζυρώτερον
ἀνδρὸς
πάντων
, ὅσσά
τε
γαῖαν
ἔπι
πνείει
τε
καὶ
ἕρπει
. (17-446,7)
およそ人間ほど哀れなものはない、
地面で息をし這いずり回っているすべてのものの中で
一国の王の父親がなぜかくも埋もれているのか。ラーエルテースは『オデュッセイアー』全編を通じて最後までほとんど前面に出てこない。控えめで醇朴な人物であったようだ。最終歌ではその類い稀な姿が描かれるはずだ。ここではさりげなくその存在がアテーネーの嘘によって紹介されている。
(この項続く)
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