1月4日
早くも4日。
ゴミ捨てといふ名の仕事始めかな 拙作
アテーネーはオデュッセウスの息子を励ますべくオデュッセウスの留守館に向かう。そこで息子テーレマコス登場。驕慢な求婚者たちの中で胸を痛めている。
ὀσσόμενος
πατέρ᾽
ἐσθλὸν
ἐνὶ
φρεσίν
, εἴ
ποθεν
ἐλθὼν
μνηστήρων
τῶν
μὲν
σκέδασιν
κατὰ
δώματα
θείη
(1-115,6)
心の中に立派な父を思い描きつつ、どこからかやってきて
館中から求婚者共を追っ払ってくれぬものかと
といった具合であり、まだまことに頼りない。このテーレマコスがどう変貌していくか、『オデュッセイアー』の読みどころの一つだ。『オデュッセイアー』はテーレマコスの物語(『テーレマキアー』とでもいうのか)でもある。
1月5日
χαῖρε
, ξεῖνε
, παρ᾽
ἄμμι
φιλήσεαι
: αὐτὰρ
ἔπειτα
δείπνου
πασσάμενος
μυθήσεαι
ὅττεό
σε
χρή
(1-123,4)
お客様ようこそ、歓迎します。食事をされてから、それから
あなたが何のために来られたのかおうかがいしましょう
客人(実はアテーネー)を迎えたテーレマコスの最初のことばだ。用件より先にまず食事。これは当時の作法であったようだ。客人歓待あるいは主客の誼、これもこの詩編のテーマのひとつだ。
渋谷文化村でフェルメール「手紙を読む青衣の女」を見る。青が鮮やか。オランダでは青は幸福を呼ぶとされているらしい。フェルメールのこの絵では特にその青の美が出ている。女の衣の青、椅子のビロード張りの青、そしてこれは今回初めて気づいたのだが、壁掛け地図下部の重し棒の青、それらの青が映発し合っている。(最後の棒は何と呼べばいいのか、掛け軸なら軸木だろうが、これは金属かもしれない、それなら軸金か)
その横棒、この絵を初めて見たときからそれが何とも好もしく気に入っている。作品の主題とは関係なさそうな背景の一部だがそれが画面に重みと安定を与えている。詩作品において同じようなことがあるのだろう、主題や筋に一見無関係な変哲ない詩句が詩に魅力を与えているということが。主題や筋も重要だが同時にそれら細部も見落とさないようにしないといけない、と自戒。