66年前の昭和34年。
北海道の豊頃村は、海岸線まで40キロの内陸にあったが、それでも浜風は強く
畑作をあきらめた人の半分は酪農に転じていた。
鉄道が敷かれてからは、豊頃駅は流通の要として、駅前は繁栄したが、ささだ沼と呼ばれた沼は
ただ、丘にあるでんぷん工場の廃液が、流されるだけの窒息した沼になっていた。
沼のほとりにある長屋集落で、私は生まれた。
同年、材木商を営んでいた佐藤さん一家は、子どもを含め4人家族全員が、強盗により惨殺された。
もちろん、今その現場を訪ねても、痕跡や悲鳴や怨念は見当たらない。
駅前の集落は消えた。時間が消したのだ。ひとつ5円の大きなザラメの飴玉を売っていた大江商店も
風の中に溶け込んで、香りも残していない。
父と母は写真をたくさん残してくれた。
私はかっ達に遊び、大きな声と笑顔を振りまいて、のびのびと成長している。
どれほど、両親は私に期待しただろう。
感受性が過度にとげとげしくなり、母親と口をきかなくなり、父に逆らい
かっぱらいや、のぞきに万引き、仕事を転々と変わりながら、癌になり
結婚してからは娘が死に、息子は学習障碍児、あげく離婚。
過疎の農村地帯に生きてきた両親にとって、私は理解しがたい怪物に映ったことだろう。
なにひとつ、まともな結果を残せないまま、66年の歳月が過ぎてゆく。
しかし、私は、やがて両親の前に出て、手を着くとき
「たくさん失敗をしてきましたが、まちがったことは、しませんでした」
と顔をあげて言うことができる。と、今気がついた。