次生は大阪の父保三の事務所からほど近い、梅田の書店紀伊国屋によく立ち寄った。
時折、気になる雑誌や書籍を購入していた。
昭和54年次生22歳のある日、ふと山積みされている紀伊国屋の一角に目をやるとナイスなメンズがオープンカーに。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240529/11/rh-33nextman/6e/1a/p/o1051101415444804905.png?caw=800)
なにやら、写真集のようである。
オープンクラッシックカー、ブガッティに乗り込み、マッハGOGOGO三船 剛(みふね ごう)のような風貌の紳士である。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240527/19/rh-33nextman/d4/fe/p/o1080059215444149345.png?caw=800)
次生は思った。
なにか、古いアルバムからの日本人の男子モデル集やな?と。
パラパラと写真集を手に取り見ていると気になる写真がたくさん掲載されていた。
このイケメン男子の名は、白洲次郎!
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240527/19/rh-33nextman/83/cd/p/o0853108015444149348.png?caw=800)
彼は1902(明治35)年、兵庫県芦屋の実業家の次男として生まれる。神戸一中卒業後、イギリス・ケンブリッジ大学に留学。帰国後は英字新聞記者を経て商社に勤務するが、1943(昭和18)年、日本の敗戦を見越して鶴川村(現・東京都町田市)で百姓となる。1945年、吉田茂に請われて終戦連絡中央事務局参与となり、日本国憲法成立などに関与。その後、貿易庁長官に就任、通商産業省を誕生させる。以後、東北電力会長などを務め、1985年逝去。妻は白洲正子。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240529/12/rh-33nextman/82/64/p/o0931108015444807557.png?caw=800)
昭和18年、疎開先の白洲のもとに召集令状が届くも、英国時代に関係を深めていた東部軍参謀長・辰巳栄一に嘆願して握り潰してもらう。戦後白洲と同じ吉田茂の側近となった辰巳栄一であったが、2009年の米公文書記録管理局の機密解除の結果、辰巳栄一はCIA協力者として日本の軍事機密をアメリカ側に漏洩していたことが判明した。
昭和20年、吉田の懇請で終戦連絡事務局連の参与に就任する。GHQの要求に対して白洲はイギリス仕込みの主張すべきところは頑強に主張し、GHQ要人をして「従順ならざる唯一の日本人」と言わしめた。とある。
ここで注目する箇所が2箇所ある。
その1
1943(昭和18)年、日本の敗戦を見越して鶴川村(現・東京都町田市)で百姓となる。
その2
疎開先の白洲のもとに召集令状が届くも、英国時代に関係を深めていた東部軍参謀長・辰巳栄一に嘆願して握り潰してもらう。
なぬっ1?
敗戦を見越して?
百姓になる?
東京大空襲を知っていたに違いない!
なぬっ2?
召集令状を握り潰す?
普通に有り得ない。
戦後彼の重要ポストを歴任しているのをみると
なるほどー!となる。
おわかりか?
こんなこと、ありえないのである!
白洲次郎!お前何者ぞ!
ボク知ってる。
彼は紛れもなく戦後を見越して、つまり情報を得ていた!。
白洲次郎。晩年彼は戦後の経緯を語らずに大好きだったエビカレーを最後の晩餐にしたという。(病院に出前をしてもらいビフカツを最後の晩餐にした、という説もある。)
白洲次郎エビカレーを!
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240527/23/rh-33nextman/8a/e2/j/o1080099115444263608.jpg?caw=800)
まもなくオープンするカフェバーpinebookにて
1日限定5食!
お楽しみに!