京都産業大学は学園紛争最中に、京都市北区に新設され、保守の総合大学を見据えて開校された。
昭和40年、初代総長、荒木俊馬(物理学者・天文学者)が上賀茂神山に創設した。
開学当初1967年、経済学部と理学部が設置され、2年後には経営学部、法学部、外国語学部が増設されるのである。
三女由紀子が康三より先に、産業大学の事務職に付いていた。
1965年法学部設置に向けて、康三は法学部設立の為に産業大学のアドバイザーとなった。
このアドバイザーが、大阪高等裁判所退官となる原因になるとは知る由もなかった。
京都産業大学は、各学部設置により全国から著名な教授陣の人材を広く参集していった。
その1人、昭和7年オリンピック第10回ロスアンゼルス大会に三段跳びで世界新記録を出し金メダルを獲得した北海道札幌出身の南部忠平もヘッドハンティングされ理学部教授となっていた。
加瀬は由紀子と相談した。
いっこちゃん!仲人さんな?
南部忠平先生にお願いしない?
南部先生?
そう、南部忠平先生に。
僕と同じ札幌出身でもあるし。
由紀子は兄吉弘が同級生の製鉄所オーナーの娘、宮下和代と婚約した事を加瀬に伝えた。
そうなん?宮下さんと?松本くんが?いつ?
来年の12月やて、結婚式。北浜で。
由紀子は言いにくそうに・・・
お兄ちゃんの結婚式の仲人さんな、
うん、だれ?
南部忠平先生やねん。
えっ?え〜ーーーー!
加瀬は動いた。素早く。
蝉時雨が激しさを増す日の午後、蛍池駅から南部忠平の高台にある自宅に三人で坂道を無言で登って行った。
和代が梅田で買ってきていた手土産のお茶菓子が傷まないかと心配していた。
次生は吉弘と婚約者の宮下和代と三人で南部忠平の吹田の自宅にお邪魔していた。
南部先生!本日はお時間取って頂いてありがとうございます。
こちらが婚約者の外国語学部で同級生の宮下和代です。そして、弟の次生です。
そう、宮下さんの弟さん?
いや、僕の弟です。
そう!松本先生は小さいお子さんいらっしゃるのやね?こんにちは!
こんにちは!
例の次生のスペシャルビーム笑顔光線が南部忠平の目に突き刺さった。
いい顔されてますね?
次生はミッション系の小学校に通っています。
どちらの、小学校?
はい、ボクは聖母学院小学校に通っています。
元気なハツラツとした滑舌のよい挨拶を南部忠平の自宅吹田までの間、阪急電車の中で、吉弘から指導されていた。
聖母?学院?藤森のルルドの?
第16師団本部ですね?
煉瓦作りの本館ありますよね?
はい、あります。前にマリア様がいます。
毎朝登校の時に、マリア様におはようございます!と、ご挨拶しますっ。
本館前にはマリア様像が設置されていた。
南部忠平は聖母学院小学校が戦中、大日本帝国陸軍第16師団本部であったことを知っていた。
はい!マ・メールがたくさんおられます。
マ・メール?フランス語ですね。
フランス語教わっているの?
はい、フランス語の授業があります。
そう!何かフランス語話せますか?
吉弘はしめたっ!作戦成功っと確信したのだ。
南部忠平は、次生の小学校に興味を持ったのだ。
はい、ボンジュール!コマンタレブー!ケツクッシセ!セボン!セシボン!
次生は知っているフランス語を全部話してみた。
南部忠平は飛び切りの笑顔になり、次生をソファに座る自分の横に呼び寄せた。
そうですか、楽しみですね。弟さん。
ところで、松本くん?お父上、松本先生はご存知ですか?
はい、父には南部忠平先生に是非とも仲人をしていただきたいと思っている。と伝えてあります。
そう?
妹さんの由紀子さんの事はどう仰ておられますか?
妹の件?由紀子のなんでしょうか?
由紀子さん婚約されてますよね?
吉弘は由紀子が加瀬と婚約中を恥ずかしながら知らなかった。
あの「卒業」のシーンから由紀子とは兄妹ながらあまり話しをしなくなっていた。
はい、婚約中です!
吉弘は知らなかったとは、南部忠平に言えなかった。
でね、由紀子さんの御相手の名前はね?
加瀬くん?ですか?
そうそう、そうです。その加瀬くんと由紀子さんが先月、私の学内の部屋にね、2人してね、尋ねて来られましてね。
吉弘はやられたーーー、と思った。
又、加瀬に先越されたーーー。と。
私としては了解なんです。
しかし、松本くんのお父様、つまり松本先生はおふたりの兄、妹さんの仲人を僕が受けていいものかと?で、気になってたんです。
松本先生は、御了解されてますか?
はい、父も母も南部先生に是非ともお願いしたいと、申しております。
知らなかった!迂闊であった。と吉弘は唇をかみしめた。
由紀子と加瀬が先に南部忠平に仲人を申し込んでいたとは・・・
そうなら、了解しました。
ところで?
はい?
吉弘くんと宮下さんは式をいつ頃されるご予定ですか?
はい、来年になります。
12月を予定しております。師走で何かと南部先生お忙しいでしょうが、宜しくお願い致します!
来年の12月?いつです。12月の?
いえ、今はまだ式場の予約を南部先生にご挨拶してからと思いまして、先生のご都合を伺いたいと思っていました。
あ〜そうでしたか。
僕はね、由紀子さんが札幌のホテルで〜確か、12月25日だと思う。
少し待っててください。
案内が確か来ていましたから、書斎にありますから、今、持って来ます。
吉弘は驚いた。
加瀬は式場も日程も先に押さえて南部先生に報告済であった。
かくして松本吉弘VS加瀬厚のバトルは切って落とされたのである。
この微妙な南部忠平を仲人に当てる吉弘VS加瀬の調整も康三は一切取らなかった。
昭和47年12月20日、松本吉弘と宮下和代は大阪北浜で式を挙げたのである。
昭和47年12月25日、加瀬厚と松本由紀子は札幌のホテルで式を挙げた。
吉弘は加瀬より早く、南部忠平を仲人に挙式を決行した。
対する加瀬は、吉弘外しともいえる秘策に出たのである。
それは、自らの札幌での挙式に由紀子の兄弟姉妹の出席を長女初子夫妻だけに絞って挙式したのである。
これで吉弘と加瀬の関係も決定的になった。
この確執を避ける為に父、康三の打てる手はいくつもあった。
しかし、康三は又もや放任したのである。