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さて、タイトルにもございますように、日々是遺言とわざわざ遺言とありますのは、単なる日々の日記ブログではなく、ボクの子供達、孫達に送る、生きるコツをしたためたかったからです。
先のブログ、創価学会の板まんだら事件にも書いていましたが、昭和50年8・9・10月と3ヶ月間、父と創価学会の裁判資料を集めにドイツ国内裁判所を訪れた時のプライベートエピソードを後の子孫に残しておきます。
お父ちゃん、痛くないか?ほれっ見てみ?
なんや?
ボクの足!腫れてるがなー。
ほんに!腫れてるな。
なんでやと思う?
なんでやろ〜?
わからん?
わからんなぁ。
お父ちゃんも靴下脱いでみ?
あっ腫れてるな、お父さんも。
なんで腫れてるか、分かったやろ?
伊丹空港で食べたお造り定食かな?
違いますがなー。36時間も飛行機に乗ってるから足に血液が溜まってるねん。
そうやな、お造り定食違うな。
とまぁ、伊丹空港から南回りの最悪ルートでドイツ国内に入国したわけです。
北回りの直行便ドイツフランクフルト空港着があったのに。
降り立った空港はスイスのジュネーブ空港。ドイツとは近くで、すぐに列車にてドイツの片田舎イエステッテンという駅に降り立ちます。
この無人駅近くには、岸中さんという父の友人が住んでいるのでした。
駅に迎えに来てくれた岸中さんにまずは自宅に連れて行かれてウェルカムドリンクの黒ビールで乾杯。
父は上機嫌。ボクは疲労困憊。
父はドイツに行くのは3回目、ボクは2回目。
ヘッタクソなドイツ語をしゃべくり回し、ドイツ人に逃げられる事、1度や2度ではなくボクもドイツ語を専攻してましたが通じる訳もなく、ブロークン・イングリッシュ連発関西弁多様でジェスチャーと絵画で何とか凌いだ3ヶ月でした。
な〜て、なんなん?ここ?
なんでこんなド田舎なん?
ホテルもスイスジュネーブ空港着と聞いていたものですから16歳の夏、近畿ツーリスト監修の高校生の1ヶ月間ヨーロッパ滞在ツアーを体験し、ギリシャ、イタリア、フランス、ドイツ、イギリス、最後に香港を経由し帰国した時のスイスでは当時最高のホテルで泊まらせてもらっていますから、この片田舎の無人駅近くの1階が街の呑んだくれの集まるBARで、2階のギシッギシッという部屋になんで泊まらないとあかんのか?と真剣に悲しくなりました。
お父ちゃんなんでこんなとこ予約したん?
岸中さんが予約してくれてん。
部屋代安い安いやろ?
そーいうたら安いな。
わからんか?疲れるがなー。
お父さんはべつに疲れへんでぇ。
で、何日?この部屋泊まらなあかんねんな。
あー1ヶ月やな。
あかん死ぬわ。あかんてー。
と最初からこんな調子でギクシャクしています。
次の日、ボクは1人列車に乗り込みジュネーブへ。
列車内では税関役人がパスポートチェックをします。
乗車時間20分程度でドイツからスイスに入国する為、車内検閲があるのです。
デカイ税関役人4人に囲まれ調べられます。
最初はむっちゃ厳しい怖い顔のビッグマン4人がボクが差し出す赤いパスポート(当時日本のパスポートは深紅の目立つパスポートでした)を見るや否や、オー!マツダ、セイコー、(松田聖子ではありません)トヨタ、キャノンと上場企業の名前を微笑みながらボクを解放するのでした。日本は信用あるんやーとつくづく思いました。
ジュネーブ駅に着いたボクは駅前のソコソコのホテルを持ち込んだ現金を全て差し出し、関西・イングリッシュで1ヶ月予約したのでした。
まだまだまだ、色々ありました。珍道中ですから。また、書きます。ドイツ編2として。
サンキュ