日々是遺言 裁判編 山田幸太郎税理士 | 京都 coffee bar Pine Book

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日々楽しく生きるにはコツがあります。
まずいちいち反応しない事です。
そしてオセロの4つ角を取る事です。
4つ角とは?
1 健康
2 人間関係
3 趣味
4 仕事
コレが楽しく生きるコツです



ツギオは〜ん。こんにちわ〜。
あっ!もう今日は金曜日かぁ、はーぁ、疲れたぁー。

毎週金曜日14時キッカリに山田幸太郎税理士は松本保三、宮川種一郎弁護士事務所に来所されます。

当事務所のお抱えの顧問税理士なのです。

ボクはいつもツギオは〜ん!って呼ばれます。ボクは山田税理士をセンセって呼びます。

山田先生は御歳80歳の古参の大阪難波の税理士。ボクは当時24歳。7人兄弟のおトンボで産まれた時から両親の祖父母と1度も対面した事がなく(そりゃそうよ、祖父母生きてまへ〜ん。お母ちゃん40歳の時に産まれたんやけど?なにか?)

いつも心淋しく感じていました。

通っていた京都聖母学院小学校の同級生はほとんどが祖父母がいた事でしょう。

お正月も終わり3学期の始まる頃、マッチャ〜ン!マッチャンはいくらもらったァ〜お年玉ァ〜。

ボク100円。

グゲーえのげっ?なんでぇ100円なん?

せやかて、100円やもん。

だって、そうなんです、友人は両親、両親の両父母、親戚からた〜くさんいただいているのでした、玉を。

ほなな、じぶんはいくらもらったん?お年玉ぁー。

ウチは1万5000円ーーー。

なぬー?そのイチマン?って。聞いた事ないけど?てな感じで、幼少期よりおじいちゃん、おばあちゃんがいる友人達に憧れていました。

通っていた聖母学院小学校は京都の伏見区藤森にあり、フランスルルド教会を本部に置くカトリックミッション校として、本年、2023年調度100周年を迎えました。

1923年大正12年聖母女学院設立の許可を得て生徒27名で開校。

1948年京都深草旧日本軍第16師団司令部の土地2万坪及び瀟洒な煉瓦造りの建物を払い下げてもらいフランス語ではマ・メール、英語ではシスターがうじゃうじゃいる愛の固まりの本校でした。

ボクはとっても可愛らしくいつもシスターに羽交い締めされムギュとセクハラを受けていました。

はい?はい、嫌いではなかったです、ムギュ。ちなみにまいどーたー、まいさんもコチラにお世話になりました。

高かったぁー学費。

でぇ〜山田先生ですが、ボクにとりましては、まいグランドファーザー的存在となっていきます。

ツキオは〜ん、三鷹事件って聞いた事ありまっか?

ミタカ?事件?何その事件?なんですの三鷹事件って?

ほな、今日はその三鷹事件についてお話ししまひょか。と、おもむろに風呂敷を解き1冊の三鷹事件の書物を事務所内の応接室に似つかわないデカイ低い机にスっーと置かれます。

ボクはワクワクしながら、その三鷹なんちゃらの何やらおぞましくもなんか、聞いた後雰囲気的に賢くなりそうなフレーズに酔いしれていました。

山田講義の後、ぁーあんな、自分な、三鷹事件って知ってると思うけどな、どー思う?

三鷹?事件?と、聞いた友人の顔を思い今日も楽しいなんちゃっておじいちゃんの話しに夢中になるボクがいました。続く!

なんやねんっ!続くバッカシやがな。続くてほんまに続けよっ。おもろいがな。サンキュ