奇跡のコース | タケシのありのまま日記

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旧名から変更しました。

今日はスピリチュアル&精神世界系の話。天使

 

私の場合、

 

スピリチュアル&精神世界の学びは、

 

奇跡のコース(奇跡講座)で終了しました。

 

これ以上、何も要らないと思ったから。

 

もう探求する必要がないと思ったんです。

 

それほど、奇跡のコースは私にとって大きい存在で、

 

かつ衝撃的でした。驚き

 

で、私の理解の整理のために、奇跡のコースについて、

 

簡単に説明を試みてみます。

 

いちおう、全く知らない方のために、

 

奇跡のコースとは、

 

一人で学べるようにテキストとワークブックなどの書籍で構成されていて、

 

誰かが教えてくれるわけではありません。

 

(解説してくれる人はいますけど)

 

あくまで自分と向き合うためのツールです。満月

 

 

いくつかのテーマごとに、

 

奇跡のコースで語られている話をまとめてみます。

 

 

■神と神の子

 

「私」とは、「神」によって創造された「神の子」です。

 

「神」によって創造された「神の子」は一人です。

 

「私」も「あなた」も、世界中の人たちも、すべてはこの一人の「神の子」ですが、

 

それが別々の存在に分離しているように見えているだけです。

 

 

■世界と神

 

世界は「神」が作ったわけではなく、「神の子」が作りました。

 

物質的な宇宙としての世界のみならず、

 

魂や輪廻転生といった非物質的世界も含めて、

 

「神」は、その存在に一切関与していません。

 

それらは我々自身である「神の子」が作ったものです。

 

 

■世界が作られた理由

 

「神の子」が世界を作った理由は、ただ一つ。

 

「神」から逃れるためです。

 

「神」のいない自分だけの世界を生み出し、そこに埋没しました。

 

別の言い方をすると、自ら催眠をかけ、夢の中に落ち込んでしまったのです。

 

では、なぜ「神の子」は「神」から逃れたかったのか。

 

元々、「神の子」は「神」と一体だったのですが、

 

「神の子」はあるとき、

 

「神」から離れたらどうなる?

 

「神」とは違う存在になってみたい!

 

と考え、そしてそれを「神」に要求しました。

 

しかし、それは無理な相談で、

 

「神」はそれを否定しました。

 

ですが「神の子」は、

 

自ら空想の世界のなかで、「神」から離れることに成功したのです。

 

「神の子」は、最初のうちこそ「神」から離れたことを楽しんでいましたが、

 

だんだん孤独を感じ、「神」の元へ戻りたくなりました。

 

しかし「神」から離れたことが「神」への裏切りと感じられ、

 

「神」への強烈な罪悪感のため、戻るに戻れなくなってしまい、

 

そして「神」からさらに逃げようと、

 

この世界を生み出した・・・、

 

とされています。

 

 

■神の子の救い

 

この世界では、

 

「神の子」は、膨大な数の存在に分離を繰り返し、

 

複雑な世界を作り上げることによって、

 

「神の子」としての記憶はほとんど無くなってしまい、

 

この世界の登場人物である私たち人間は、

 

自我により個々の存在として別々に生きているように見えています。

 

このため、私たちは真の自分を忘れ、

 

この世界が空想なのだということも忘れてしまいました。

 

しかし、「神」は「神の子」を救おうと、

 

この世界に「聖霊」という存在を送り込みました。

 

この聖霊が私たちに正気を取り戻させ、

 

目覚めるための助けとなります。

 

そして「聖霊」は、一人ひとりの心の中にいて、

 

私たちにメッセージを送り続けています。

 

そのため、

 

私たちは、真の自分を思い出し、「神の子」としての自分を思い出し、

 

そして「神」への間違った怖れを訂正し、

 

夢から目覚めることが必要だし、

 

それが「神の子」の望み。

 

 あじさい    あじさい    あじさい

 

 

突拍子もない話とは思いますが、

 

私自身は、とても納得しまして。

 

あぁ!そうだったんだ!

 

と、いたく感動。泣くうさぎ

 

以前は、

 

こんな酷い世界を放置している神の意図がわからず、

 

自分自身の価値も分からず、

 

神を恐れ、憎んでいましたけれど、

 

自分の心の中に、神を切望する部分があることを強く感じていたので、

 

とても納得したのです。

 

もちろん、この話だけではなく、

 

他にもいろいろな教えがあって、

 

それらも、共感したというか。

 

なぜ、自分がこうなのかを全て説明してくれて、

 

とても腹落ちしたので。

 

 

ただ、テキストの文章は難解で、

 

なんどもなんども読んで、ようやく理解できたり。

 

そんな苦労もありますけれど、

 

でも、それでも読みたくなるのです。