誰かを非難したいとき | タケシのありのまま日記

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旧名から変更しました。

今日も、ニュースでは、誰かが誰かを非難してますが、

 

誰かを非難したいときって、

 

自分の心で何が起きているか、知るチャンスです。

 

あいつ、許せん!

 

というとき。

 

ありますよね。

 

私もあります。ニコ

 

 

そういう時って、

 

相手に苦痛を味合わせたい、ですね。

 

そして、反省させたい。モグラ

 

それは、

 

相手に罪悪感を感じさせ、

 

そして、

 

罪を償わせたい。

 

ということでもあります。ヒヨコ

 

「苦痛を味合わせる」の「苦痛」とは、

 

罪悪感の苦しみということが言えます。

 

「あぁ、私が悪かったの!?」ゲッソリ

 

と思わせ、

 

後悔の念を抱かせて、

 

「私が悪うございました・・・」えーん

 

と、罪を償わせれば、万事解決。みたいな?

 

相手が謝るまで、しつこく拘る人がいるのも、これですね。

 

 

で、ここまで来れば、

 

相手を非難した私は、

 

スーッと気持ちが楽になります。音譜

 

それは、自分の罪が免除されたから。

 

相手が、罪を被ってくれたので、

 

私は悪くない。無罪です!!ウシシ

 

と、胸を張って言えるわけ。

 

だから、安堵するのです。

 

この快感を感じたことのない人はいないでしょうね。

 

誰かを非難することに、人が拘るのも無理はない。ハロウィン

 

 

で、話を戻すと、

 

相手を非難したいときって、

 

自分の罪の意識、つまり罪悪感を怖れ、

 

それを隠したいということなんです。

 

それに気が付くこと。温泉

 

 

だって、自分に何の罪悪感も感じていない、幸せな人が、

 

誰かを非難するなんて、そんなのあり得ないでしょう。

 

幸せなのに、非難する理由が無いし。桜

 

つまり、誰かを非難する人は、

 

自分は不幸で、罪を背負っているのだ、

 

ということを示しているわけです。

 

 

誰かを非難している時、

 

それに気が付くこと。

 

それが大切だと思います。

 

気が付くためには、

 

自分を客観視しなければなりません。お月様

 

非難している自分に気が付けるように。

 

そんなの、私じゃない。

 

ほんとうの、自分を見つけましょう。クローバー