あの野郎~!とか、
こん畜生~!とか、
思うことは、多々ありますけれど、
なぜ腹が立つのか?
分かっているようで、実はあまり分かっていない。
だれも、そんなこと考えないからね。
あいつが私を侮辱した、等々、理由は色々あるけれど、
実は、それらは表面的なものに過ぎません。
相手に対して腹が立つということは、
その相手を非難したいという気持ちがあり、
それは、その相手に罰を与えたいということです。
罰を与えると言うことは、
自分が相手を裁き、有罪と見なしたということ。
人は、この、誰かを裁くということについて、
中毒になっています。
誰かを裁かないと、生きていけない。
依存症。
世間で、誰かを裁くニュースが絶えない日はありません。
誰かが生贄になり、
その生贄に多くの人が寄ってたかって、渇きをいやしています。
そこまで極端でなくても、
人々の行動が事なかれ主義になるのは、
自分が生贄になりたくないからです。
有罪になりたくない。
なぜ、そんなに怖れているのか?
それは、自分が罪を背負っていると信じているからです。
それゆえに、
お前は有罪だ!
と言われることを怖れます。
だから、他人が有罪になると、
自分の番じゃなかった!
と安心するのです。
でも、そんなのは一時しのぎにすぎず、
また罪に怯えるだけです。
どうすればいいのか?
何はともあれ、
自分の心の中の罪悪感を直視し、
それを認めることです。
そこから始まる。
奇跡講座(A Course in Miracles)では、
こう言っています。
「あなたに見える世界は
罪悪感によって狂わされてしまった人々の
妄想に基づいた体系です。
この世界を注意深く見てください。
そうすれば、
そうであることに気づくでしょう。
この世界は罰の象徴であり、
この世界を支配しているように見える法則は
全て死の法則だからです。」
私も長い事、この罪の意識に悩まされてきました。
今でもまだまだ罪の意識は消えませんが、
でも、この罪の意識を、
少しずつ、許容しています。
怖れなくていい。
その罪の意識は、真実ではないと。