ツーリング以来、バイクネタが続いてますが、
久々に精神世界ネタを。
木曜日は、そういうネタを書きたくなるのです。(笑)
私は、子供のころから、仏教に馴染みはありましたが、
キリスト教に対しては、何か嫌なイメージを持っていました。
なんと言うか…抑圧的な?
そして排他的な?
まぁ、宗教全般に対して、そんなイメージはありましたけど。
宗教戦争について知るほど、
宗教とは恐ろしいものだと。
だからといって無神論者だったわけではなく、
漠然と、神の存在は信じていましたね。
あまり意識したことはなかったけど、
でも、確実にその存在は感じていたように思います。
神とは、愛であり、自由であり、受容であり、無垢である。
そんなイメージがありました。
だから、神を信じている人たちが、
争っている姿を見ると、
なんで??って思ってました。
で、だんだん大人になると、
世の中の常識に揉まれているうちに、
神が分からなくなってしまいました。
そして、神を恐れるようになりました。
だって、分からないものに対しては、
不安を感じるじゃないですか。
また、世間では、
神など必要ない、
自分を救えるのは自分だけである、
というのが常識ですから。
神は不要になったんです。
だけど、
自分の苦しみの原因は、
神を捨てたことにある。
そう気が付きました。
神とは、
私の源ですから。
源との繋がりが絶たれては、
孤立無援で
荒野をさまようことになります。
こんなに寂しく、辛いことはない。
だけど、
神は、私の心に常にいたんですね。
気が付かなかっただけで。
繋がりは絶たれてはいなかった。
そう思い込んでいるだけだった。
ただ、それだけなんです。