労働と犠牲 | タケシのありのまま日記

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旧名から変更しました。

今の世の中、

 

働きすぎなど、労働時間に対する制約が非常に厳しくなってます。

 

一か月の労働時間の上限なんて、

 

昔に比べると、ものすごく厳しい。にやり

 

休日も強制的に取らせるとか、そんな時代になってますが。

 

でも、そんな風潮が、

 

なんか、ちょっと違和感も感じる。

 

なんでかな?と思ったら、

 

やっぱり、「労働 = 犠牲」 という図式が前提になっているからではないかと。

 

労働とは、自分が犠牲を払う行為で、

 

その払った犠牲の対価をして給料をもらう。

 

だから、犠牲は少なければ少ないほど良い。

 

そして、少ない犠牲で、たくさんの給料をもらっている人がいたら、

 

それはずるい、ということになります。

 

 

しかし、世の中には、

 

「労働 = 歓び」

 

という人もいます。

 

全く犠牲を払っている感覚はなくて、楽しんで働いているので、

 

そういう人は、労働時間の縛りなんて、無意味だと感じてしまう。

 

 

そして、世の中は、

 

この「歓び」で働く一部の人と、

 

「犠牲」で働くその他大勢、という図式になっていて、

 

「歓び」の人は、たまたま、偶然、自分の好きなことが仕事に出来た、ラッキーな人?

 

もしくは、人生の選択に成功した勝ち組・・・

 

そんな見方をしているような気がします。

 

私も、昔はそう見てましたね。

 

 

でも、本当はそうじゃない。

 

どんな仕事をしていても、

 

「犠牲」という観念を捨て去ることは可能です。

 

何をするにも、

 

「犠牲」という視点ではなく、

 

「歓び」や「幸せ」のためにという視点。

 

それが大事だと思います。

 

まぁ、この「犠牲」という観念は、

 

ちょっとやそっとじゃ抜けない、強力な観念なんですけどね。

 

それでも、諦めずに、地道に変えていくだけです。