相手をコントロールすること | タケシのありのまま日記

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旧名から変更しました。

この前書いた話の続きのつもりなのだけど、

 

どこまで何を書いたのか、もう覚えてなくて。。。

 

ほんと、記憶力が無くなってますねぇ。笑い泣き

 

で、何かと言うと、

 

自分の心をコントロールする話でした。

 

自分の心をコントロールすることだけが、

 

意味のあること。

 

そう思います。

 

それ以外は、コントロールできません。

 

他人をコントロールすることなんかできやしないのですが、

 

それを一生懸命にやろうとしてしまうわけです。

 

相手が思う通りに動いてくれない。

 

そういう葛藤は、これまでの人生で、数限りなく感じてきました。

 

今でも感じますけどね。

 

できないことをやろうとしているから葛藤を感じるわけで。

 

諦めてしまえば、別にどうってことない。チューリップ赤

 

 

人は、支配欲を持っていると言いますが、

 

これなんか、まさに、

 

この他人をコントロールしたいという欲求なわけで。

 

権力者とか、企業の偉い人なんかが、まさにその典型だし。

 

上司が部下に対する態度なんかもそう。

 

上から目線ね。真顔

 

それから、親が子供に対する態度とか。

 

先生が生徒に対する態度とか。

 

色々な場面で、しょっちゅう見ることができます。

 

 

でも最近は、

 

そういうのはイヤだと感じ始めた人たちが、

 

お互いに相手を尊重し合う、

 

対等な関係を作ろうとしています。

 

支配ではなく、

 

愛ですよ。

 

それは、相手を縛らずに、

 

自由を尊重し合うとも言えます。

 

やっぱり、それが自然だと思うんですよね。

 

職場でも、家庭でもそう。

 

 

よくある話が、

 

自由にやらせすぎると、勝手放題になって収拾がつかなくなり、

 

企業なんかじゃ実際には無理!

 

みたいな感じですけど、

 

そうやって、相手を信頼していないというところからして、

 

まったく尊重していないわけで。

 

それは、

 

自分の「こうあってほしい」という枠に、相手を押しとどめようとしているだけです。