今日は、瞑想の話を。
瞑想は、心を静め、何かに集中する方法として、広まっていると思います。
または、私のように、
心の病で、心が七転八倒しているのを、
穏やかに治めるという方法としても、よく利用されていると思います。
いずれも、心を静めるという方法です。
つまり、心を鍛錬する方法と言えます。
ところで、この、心を鍛錬していくと、どんな段階があるのか?
ある思想では、こんなふうに表現していました。
1)瞑想
2)静寂
3)合一
4)歓喜
そして私も、確かにこんな段階になるのだろうな、と納得です。
表現の仕方はいろいろあるけれど、
概ね、こんな感じではないかと。
で、私も「4)歓喜」を目指しています。
いまは、「3)合一」に入りかけたぐらいかな・・・?
合一とは、これはあくまでも、私の解釈ですけど、
「神」、「大いなる存在」、「天」、etc...
なんでもいいんですけど、そのような大きな存在、絶対的な存在と一体感を感じる・・・
という段階かな、と。
で、なんでそんな鍛錬をしているのかと言うと、
私の心が、それを望むから。
ただ、それだけです。
他には、何も要らない。
何か、修行僧みたいと思われるかもしれませんが、
ある意味そうかも。
でも、これよりも大事なことって、何もないんです。
肉体を維持することなんて、
このことから見たら、本当にどうでも良いこと。
で、私の場合は、これを「奇跡講座」という本に従って鍛錬しています。
私にとっては、バイブルです。