昨日、不信という話を少し書きましたが、
親兄弟であろうとも、
それは同じでした。
100%信じられるかというと、それは違う。正直に言うとね。
結局、自分以外の他人を、100%信じるということは、
どうしても出来ないです。
そして、それは自分に対してもそうで。
自分が自分を裏切る。
自分が分からない。
そんな感覚が、ずっとありました。
よく、自分探しの旅とか言いますけど、
分かるなぁ。。。
ある意味、自分とは何かを知ることが、
人生だとも言えると思います。
自分って分からないし、怖いんですよ。
自分が。
で、自分や他者に、そんな根強い不信感があるわけですから、
神様なんぞ、信じられるわけがないです。
神様は、私の味方なのか、それとも敵なのか、それとも・・・?
そもそも、神様なんて、存在そのものを信じなきゃいいのに?
というのはごもっとも。
別に、昔から信心深い訳でもなんでもないのですけど。
でも、神様の存在は、
心のどこかで確信しているのですよ。
これは理屈抜きで。
で、話を戻すと、
結局、何も信じられないという状態が、不幸なのです。
そして、この不信の原因が、
私と神様との関係にある。
そういうことが分かってきました。
ちなみに、ここでいう神様とは、
都合の良いときに神頼みするときの神様ではなく。
私という存在を創造した存在。
創造主って言っちゃうと、キリスト教みたいで嫌なんですが。(笑)
いわば、親です。
不幸な親子関係が、
この不信の根っこにある。
長くなるので、続きはまた今度。