えー、前回の「心の怖れ」の続きです。
どこまで続くやら?
で、怖れていることが分かって、
イヤだとは思ったのですが、
怖れないようにするためには、
なぜ怖れているかを知らなくてはなりません。
いったい、何を怖れているのか?
心を探求するうちに、
自分は〇〇でなければならない
という信念を、自分が持っていることに気が付きました。
で、この、
〇〇でなければならない、
ということが達成できなかったり、
それから外れていると感じると、
罪悪感を感じ、
ヤバい・・・
みたいな怖れとなっていました。
例えば、良き旦那や、良き父親でなければならない、
という信念ですよ。
これなんか、分かりやすい例ですけど、
でも、もっと些細な信念も、沢山持っていたんです。
拘りと言われるようなことですね。
こうでなければならない、みたいな。
んで、なぜそんな信念を持っているのか?
これまた、よくよく心を探求してくと、
今度は、自分に対する評価、
自分の存在価値というものに行着きました。
自分の存在価値を疑っているのです。
自分に価値などないのではないか?と。
だから、こうあるべきという自分になりたい!
自分が無価値だということから逃れたい一心で、
様々な、あるべき姿を描いてきたんです。
自分の存在価値を疑っていることに気が付いたとき、
ショックでした。

だけど、すごく納得でもありました。
生き辛さとか、
ここにいちゃいけない感というのを、
漠然と感じ続けてきたので、
なるほど!と思いましたね。
しかし、それを救えるのは、
他でもない、自分しかありえません。
自分の存在価値を認めること。
もう、何も飾る必要はないし、
こうあるべき、などと頑張る必要もない。
でも、どうやったら、自分の存在価値を認めることができるのか?
今までできなかったのに?
どうやって、自分の存在価値を証明すりゃいいのさ?
と、私も思いましたけど、
証明なんて、必要ないのです。
だって、相手は自分自身なんだから。
客観的な証拠を示すとか、そんな必要はありません。
ただ、意志があればいい。
自分は、存在価値があるという意志があれば。
もちろん、
すぐにコロッと変われるわけではないけれども。
地道に、自分に言い聞かせる必要があります。
ところで、
そんな信念を、沢山持っていたことに気が付いたのですが、
それと同時に、
そんな信念から、自由になりたい!
という衝動があることにも気が付きました。
ということで、また今度。