今日、職場で人権学習会がありました。
人は、誰でも幸せになる権利がある。
相手のことを尊重して。
もっと寛容に。
etc...
いろいろな提言がありましたが、
それぞれの言葉に、
いろいろ思うことが出てきます。
例えば、
ハラスメントは良くないことだけど、
ハラスメントしちゃう人ってのは、
何か特別な人でも何でもなくて、
本人は、そんなつもりもないし、
すごく微妙な面もあります。
逆に、ハラスメントとして訴えられたほうが、
逆ハラスメントだったり。
いったい、誰が加害者で、
誰が被害者なのか、分からなくなることもありますね。
ハラスメントをしていた人は、
実は他からハラスメントを受けていたとか、よくあります。
負の連鎖です。
それは、いったい、誰が悪いのさ?
それから、
「誰でも幸せになれる権利」と言いますが、
権利を持っていても、
それを行使してるの?私たちは?
とも思います。
本当に、自分で幸せになろうという意志はあるのか?
という問です。
私自身が、
幸せになろうという意志が無かったので。昔は。
それから、差別は良くないことだとされていますが、
差別なんて、この世界には、ありとあらゆるものがあって、
言い出したらキリがありません。
そもそも、価値判断をする以上、
そこに優劣の判断が入ってしまうわけで。
まぁ、その価値判断はいいんだけど、
その価値判断で、NGと判断したものに対して、
表明するのは良くないよ!
と言いたいのだということは分かります。
でも、表明しなくても、
心の中では、その対象をディスっているわけで、
差別していることには変わりありません。
だから、価値判断がある以上、
差別は絶対になくならない。
問われているのは、
その価値判断は、必要ですか?
ということなわけで。
でも、この差別ってのは、
ほんとに根が深くて、
人間の根幹にかかわる部分です。
私は私
という個を維持するためには、
絶対に必要。
そこが、非常に難しい。
だから、個を乗り越えないと・・・
そんなことを考えた学習会でした。