ボヘミアンラプソディとLGBT | タケシのありのまま日記

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旧名から変更しました。

映画「ボヘミアン・ラプソディ」が、

まだまだ観客動員数を伸ばしているとのこと。

嬉しいですねぇ。。。

私も、知人に触れ回っております。

そして、いまだにあの感動の余韻は続いていまして、

SNSの記事や動画など、いろいろ観ています。

後から分かって、なるほど!

と思うこともたくさんあって、

なかなか、この余韻は冷めないでしょうねぇ。。。


さて、以前の感想では書いてないことで、

どうしても書きたかったことがあります。

あ、ここから少しだけ映画のネタバレになるところがあるので、

ご注意ください!



それは、この映画が描くLGBTという視点。

私も、LGBTに関する表面的な知識はまぁあったと思いますし、

差別しちゃいけない、というのも頭では分かっていました。

でも、ボヘミアンラプソディを観た時、

フレディが、マッチョな男を目で追っていたり、

男同士でキスするシーンは、

心理的な抵抗がありました。

ハッキリ言うと、嫌悪感です。


でも、映画を観ていくと、

そんな嫌悪感も、徐々に無くなっていきました。

それは、私の心の中で、

こんな問いが生まれたからです。

自分が、綺麗な女性を目で追ったり、

いいなぁ~と思うのと、

いったい、何が違うの?

ただ、自分は多数派のほうだってことだけ。

少数派がおかしいわけでもなんでもない・・・。


フレディの場合は、ゲイでしたが、

世の中には、趣味嗜好、性格、容姿、その他色々な理由で、

たくさんの少数派の人たちがいます。

その中には、本当の自分を押し殺している人もたくさんいるはず。

ボヘミアンラプソディでは、

そういう少数派の人たちを守ろう!という感じではなく、

勇気をもって自分をさらけ出せ!

というメッセージだったから、

私は共感しているのだと思います。

そして、みんな同じなんだっていうメッセージ。


文字にすると当たり前のことなんですけど、

映画を観ていたら、すごく説得力があって、

深く納得しました。


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ちなみに、これも、

心を鍛えるなかの、

心を観察することによって、気づきが得られるようになります。

だから、心を観察するということは、

とても大事です。