最近、ネット上のニュースや記事で、戦争に関する話題が増えてきましたが、
8月15日が近くなってきましたね。
今日も特攻隊の記事があがってまして、読んでみました。
元々、特攻に関しては、いろいろ本も読んできたこともあって、
関心あるんです。
まぁ、太平洋戦争全般に関心がありましたが。
で、記事では、特攻を命じられたけど、特攻せず帰還した兵士の話や、
特攻を命じた上司の話などで、
まぁ、だいたい知ってるような話でした。
記事なんで、本みたいに、そんなにたくさん書けませんし。
だいたい、
命じた上司が、
戦後も、のうのうと生きていて、
偉くなっていたり、
幸せになっていたりすると、
反感を買います。

記事の論調も、
卑怯者
みたいなトーンのものが多いです。
でも、その上司にしか分からない苦しみってのもあったと思うんです。
だいたい、上に立つ者って、
責任重大じゃないですか。
お前の部隊は、なぜ特攻を出さないんだ!
みたいな圧力もあったと思います。
俺は、こんなに犠牲を払っているのに、
お前のところは!
みたいなのは、ありますよね。
かたや、命ぜられるほうも、
よく、生き残った人が言ってますが、
自分だけ生き残ったことに対する罪悪感に苦しむことからも分かるように、
イヤだって言えません。
誰も卑怯者って言われたくないんですよ。
昔読んだ本で、
玉砕しなかった兵士の手記みたいのがありました。
周りの同僚は、玉砕し、自決したのに、
その人は、降参して投降したんですよ。
いや、凄い精神力だな!と思いました。
と、同時に、
自分だったら、自決を選んじゃうよ!って思いました。
狂ってる!って分かっていても、
そっちを選んじゃいます。
んで、特攻の話を戻すと、
みんな、狂気の世界にいて、
命じるほうも、命じられるほうも、
ただただ、逃げたかったんです。
責任という重圧から。
だから、誰も、分け隔てなく、
皆が、苦しんだのだなぁと、
悪者なんて、実はどこにもいなかったんだって。
それが、あの時代への供養なのだと思います。