最近、アメフトのニュースで大盛り上がりですねぇ~。
連日報道されているようですが、
今日、初めて会見の様子をテレビで観ました。
日大学生さんと、日大監督の会見です。
このニュースは、非常に反響が大きいようですが、
一つ思うのは、
日大監督は、生贄だなってことです。
みんなの非難、憎しみを一身に受ける生贄。

最近、盛んな炎上ってやつは、
全て生贄だと思います。
飢えた獰猛な野獣の中に、
生贄が放り込まれ、
そこに野獣が群がる・・・みたいな。

なぜ野獣は飢えているのかというと、
自分の中に抱えている憎しみが手におえなくて、
それを投げつける相手が欲しい、のだと。
そして、その野獣は、
別に先鋭的な一部の人たちに限らず、
世の中のほとんどの人がそうだと思うんです。
だって、日大監督に怒りを感じ、
なんだか許せない・・・みたいな気持ちは、
どこかにあるでしょう?
私もあります。
そして日大監督が非難にさらされている姿を見て、
何か、ちょっとでもスカッとする気持ちがあるでしょう。
それが悪いやつであればあるほど、
何か、スッと気持ちが軽くなるんです。
その気持ちを、よく見てみると、
悪いのはあいつだから、俺は悪くない。
ふぅ~、よかった~。
みたいな気持ちがあるんです。
安心するんですね。
でも、心のどこかで、
次は自分があんなふうになるかもしれない・・・
怖い!
気を付けなきゃ・・・
みたいな、密かな恐れも同時に感じています。
だから、このスッと軽くなる気持ちは、
長続きしません。
だって、次は自分かもしれないから。
今回は、自分じゃなかった!良かった!
ってだけです。
次々と炎上が続くのは、その意味からすると当然だと思います。
その瞬間だけは安心していられますから。
私は、ある時それに気が付いたんですが、
同時に思いました。
それって・・・、地獄だよね。
まだまだ、地獄から抜け出せませんが、
とにかく、
生贄を生贄として見るのは、
もう止めたい・・・
と思っています。
そもそも、憎しみの連鎖は、何も生み出さないですし。
その連鎖を止められるのは、
他の誰かではなく、自分しかいません。