この世の中は、ギブアンドテイクが当たり前ですけれど、
なぜ、それは当たり前なんでしょう。
昔は、そんな疑問なんて、夢にも思いませんでしたけど。
当たり前すぎて。
家事の分担とか、
私はこれだけやったから、あなたもやってね。
みたいな、「平等」というのも、
これまた、この世では当然。
我が家でも、ヒナとハルが、
家事手伝いで、
どっちが、より楽をするかで、よく揉めています。
(笑)

これって、犠牲の概念なんですよね。
私は、これだけ犠牲を払った。
だから、私には何か権利を得らえる。
もしくは、あたなも犠牲を払いなさい。
夫婦の間でも、どっちが、よりたくさん犠牲を払ったかで、
よくトラブルになります。
かたや、自己犠牲の精神は、
時に、人を感動させます。
愛している人のためなら、犠牲になる、みたいな。
映画でも、感動的なシーンとかあります。
だから、
良い夫婦関係とは、
お互いに犠牲を払いあうこと・・・
みたいな感じになっちゃう夫婦が、いるんじゃないかな。
ズバリ、私がそうでしたから。
だって、自分を犠牲にしないってことは、相手を愛していないってことでしょ?
だから、自分を犠牲にすればするほど、
相手に愛を捧げることができる・・・。
そうすると、だんだん、
自分はこんなに犠牲を払っているのに、
相手の犠牲が足りないような・・・?

なんてことになってきちゃうんですよね。
そして重荷になってくる。
なんかそれ、おかしくない?

人を感動させる自己犠牲って、
ほんとは犠牲じゃないんですよね。
それは、当人にとっては、悦び。
そして、誰に命令されるわけでもなく、
ただ純粋に、自分の自由意志で。
それが、重荷になる犠牲は、
まったく、180度違う。
自由でなく、強制。
こうあるべきだ、という観念から来る。
だから、全然違う。
それが分かってから、
犠牲を払うことをやめました。
まぁ、完全に止めるのは難しいので、徐々にですけど。
相手に犠牲を求めることをやめて、
自分に求めることも止める。
お互いに、解放しあって、楽になろう~
みたいな。
夫婦関係だけではなく、
どんな人間関係でも同じです。
ま、ついつい、
俺、こんなに仕事してる(犠牲を払ってる)のに、
なんか不公平じゃない!?
って思いが浮かんじゃいますけどね。
浮かんだら浮かんだで、
いやいや、そんなのに意味はない・・・
と思い直しています。