心配性 | タケシのありのまま日記

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旧名から変更しました。

父ちゃんの思い出になりますが、

父ちゃんは、根っからの?心配性でした。

些細な事まで、あれやこれや心配してましたね。おひつじ座

だから、そんなに心配してもしょうがないでしょ!

って何度も言ってました。

でも、今思えば、

心配性ってのは、ある意味正しい?のだと思います。

正しいという表現は適当じゃないかもしれませんが、

素直っていうのかな?

誰もが心の中で感じている不安を、

正直に表現している、という感じ。

心配する父ちゃんに、

そんなに心配するな!!

って言ってた自分の心を振り返ってみると、

実は、自分も心配していて、

でも、それを隠していて。

それが、父ちゃんが言っちゃうもんだから、

またその不安が露呈するのが嫌で、

心配するんじゃない!!

って言ってた部分がありますね。

だから、表に出すか出さないかの違いだけで、

実は同じでした。


うつ病とかも、不安や心配が極限に達して、

身動きできない状態になってる部分があると思います。

不安や心配ってのは、要するに、何かを恐れている状態ですから、

怖がって身動きできないんですよね。

それに対して、

いくら、恐れるんじゃない!とか、心配するんじゃない!と言っても、無理。

その恐れを直視しなければ。

なぜ、俺は恐れているんだろう?

いったい、何を恐れているのか?

それを、心に問いかけるのが大切だと思います。


例えば、

仕事で失敗するんじゃないか、

夫婦関係が悪くなるんじゃないか、

とか。

でも、なぜ失敗することや、悪くなることを恐れているのか?

突き詰めていくと、

さらに色々恐れていることが分かってきます。


私の場合、

針のムシロに座っているイメージが浮かぶんですよね。

誰かに非難されて、

でも自分が悪いので、どうしようもない。

ただ、サンドバッグのように、撃たれるだけ。

だから、自分が悪いということを認めるのが、

物凄く怖かったのです。

いや、今でも怖いので、現在進行形。

自分が悪いということを認めたくないんですよね。

ということは、逆に言うと、

潜在的に、自分が悪いと信じていることになります。

でなければ、認めたくないなんて思わないはず。

自分が悪い。

なぜなら、自分には罪がある。

罪悪感ってやつです。

この、

自分は罪悪感を持っているんだ、

ということに気が付いたのは、

とても大きいことでした。