今日、帰りの電車の中で、
つり革を握って立っていたんですが、
となりには、80歳過ぎと思われるおじいちゃんが立ってました。
ちょうど、うちの親父ぐらいかなぁ。
でも、誰も席を譲ってくれない。
あぁ、誰か、席を譲ってくれるとイイんだけど。
あの若そうな兄ちゃん、どうよ?

・・・みたいなことを考えておりました。
少々、残念な気持ちだったわけですが、
ということは、私は、
このおじいちゃんは被害者で、
席を譲らない若者は悪い人、
と判断したことになります。
若者が100%悪者だと思っているわけではありませんが、
残念だということは、わずかでもそう判断しているんです。
でも、この判断は、正しいのか?
その若者は、実は体に障害があるかもしれないし、
具合が悪いかもしれない、
また、おじいちゃんは、実は元気モリモリで、
年寄扱いされるのが嫌かもしれません。
結局、誰にも分らないわけです。

なので、こういった判断は、なるべくしないようにしています。
誰かが悪いと決めたところで、
そんなの絶対ではないし、
意味がない。
そして、その判断は、自分にも向けられますから。
自分で自分を裁くことになります。
こうあるべきだ、という思い込みが強い人ほど、
自分で自分を縛り上げ、苦しめます。
もう、そんなことはしたくないので、
判断、つまり価値判断ですね。
これを、外そうとしています。
そうすると、いかに自分が、今まで、
様々な観念を持っていて、価値判断してきたかが分かります。
で、よくよく考えると、この価値判断は、絶対ではない・・・。
それが分かってくると、
少しずつ、価値判断をしなくなってきます。
でも、まだまだですけどね。
もっともっと、価値判断から自由になりたいなと思っています。
