人は、自分が見たいものを見る
という言葉は、私が好きな言葉ですが、
どういう意味かと言いますと、
自分が見ている世界は、自分が信じていることを反映した世界である、ってことで、
もっと平たく言うと、
どんなものを見るかは、自分が信じていることに左右される、
って感じでしょうか。
スピリチュアルや精神世界では、
この世界は幻想である
という話は、常識?となっていると思いますが、
これも、同じようなことを言ってまして、
この世界は、自分の心の投影にすぎず、
自分が作り上げているのだ、ということです。
私も、この話を最初聞いたとき、
へぇーーーと思い、
否定はしませんでしたし、そうなんだろうなぁとも思いましたが、
でも、結局のところ、
まったく別の世界の話のように感じていて、
自分の目の前に広がるこの世界が、ほんとにそうなんだ!
と思ったわけではありませんでした。
例えば、ゴキブリのことを全く知らない人が、
ゴキブリを初めて見て、気持ち悪いともなんとも思わない、という話があります。
これは、ゴキブリに何の意味付けもしていない状態です。
それが、一度、ゴキブリについて誰かに解説されると、
手のひらを返したように、気持ち悪い!!と言い出す。

こうして、人は、自分が信じたとおり、ゴキブリは汚い不潔なものだ!と見るようになります。
また、難病が奇跡的に治ったという話が、よくありますし、
大抵のことについて、私たちが信じている常識とはかけ離れた例外が存在しますよね。
あれは、たまたまでも偶然でもなく、
自分の心が引き起こしたものなのだと思います。
そんなふうに考えるようになったので、
これは体に悪い!とか、あれは危険だ!とか、
いちいち信じることに、何の意味があるのだろう?と思うようになりました。
そもそも、健康に良いとされているものって、しょっちゅう変わるじゃないですか。
良いと思っていたものが、ある時から悪いものになったり、
その逆だったり。
そんなものに、いちいち振り回されるのもいやですし。
そう、それが不自由さの素でもあったわけです。
自分が信じていることで、自分を縛り付けてしまって、
自由を奪っているわけです。自分で。
そんなん、アホらしいじゃないですか。
さっさと自由になろ!
ただ、言うは易しで、
自分が信じていることって、長い間に周りから植えつけられたもので、
膨大な量になります。
それこそ、過去世から引きずってるものもあるでしょうし。
だから、時間はかかります。
でも、自由になりたいからね。