結局、スピリチュアルとか、精神世界を学んでいたのは、
この世の生き辛さのためで、
この苦しさを何とかしたい、ということでした。
単なる興味本位とかではなく、
そこに救いがあるかもしれない、という縋るような想い。
最初は、お手軽な、その場しのぎの対処法だけを望んでいました。
しかし、徐々に学びを深めるうちに、
その場しのぎでは、
何の解決にもならないことを、思い知るようになりました。

そうして、この問題から、避けて通れないことになったわけです。
なぜ、人は生きるのか?
なぜ、私は存在しているのか?
この人生の目的は何か?
何をするにも、その目的が明確でなければ、
正しい選択は、できません。
正しく生きるためには、目的を正しく理解するしかない。
しかし、思えば、この「目的」を知る、ということに対して、
ずっと、それを避け続けてきましたね。

目的を知ることに対して、怖れがありました。

それは、知らない方がいい・・・、みたいな。
そんなこと知ったところで、どうなる?
この目の前の現実に対処するのが優先だ!
などと思った頃もありましたが、
でも、心のどこかで、それは違う・・・という想いもありました。
とは言え、スピリチュアルや精神世界で色々学んでも、
いろんなことが言われていて、
これまた、悩ましい。。。
禅問答みたいな感じで、結局、よくわかんない?とかね。
で、私なりに、今思うのは、
私は、自分の在りたいように在ることを望んでいて、
そのために、今、ここに存在しているのだと思っています。
で、在りたいようにというのは、
幸せであること、です。
言葉を変えると、
心穏やかで、絶対的な安らぎの中に居ること。
これ以上、望むことは無い。
そして、それが私の本質であり、
その本質を思い出すことが、私の人生の目的であると思っています。
なので、私の全ての行動は、幸せという目的のため。
私自身を幸せにすることです。

ただ、そうなると「幸せ」とは何か?
という疑問が出てきますが、長くなるので、また今度。