前回記事から、だいぶ間が空いてしまいましたが。。。
前回の「悟り」について、少し補足を。
私が、悟りに関して惹かれたのは、
達観する?みたいな点もありました。
何を言われても動じない。
何があっても、心は穏やか。
怯えて生きるのは、もう嫌だ・・・。そんな気持ちだったでしょうか。
だから、心やすらかでいたい。
ポジティブシンキングとか、そういう一時的なものではなく、
何が起ころうとも、動じない心。
それは夢物語ではなく、可能なのかもしれない・・・。
で、「ゆるし」です。
ある頃から、私にとって、何かを「ゆるす」ということが、大きなテーマになってきました。
私たちは、よくよく自分自身を観察してみると、
しょっちゅう、価値判断を繰り返していることが分かります。
あれは良い。これはダメ。こっちは・・・まぁまぁ。
そういう判断を、あまりに当たり前に繰り返しているので、
なかなか気が付かないのですけどね。
これを、他人や物事に対して、しょっちゅうやっている。

でも、これと同じことを、自分自身に対してもやっているのですね。
しかも、厳しく。
私のこれは良い。これはダメ。あれは、まぁまぁ。。。
それに気が付いてくると、
単なる価値判断、という生易しいものではなく、
私は、自分自身を常に裁いている、と思うようになりました。
自分をプラスに評価することはほとんどなく、
いわば、断罪している。
そして、それは他者に対しても同じ。
他人の評価を気にしていた私は、
実は、自分で自分を評価し、断罪し、見下していたんです。

それに気が付いてから、
裁きをやめること、つまり、ゆるす、ということが大切なのだと、
そう思うようになりました。
自分に対してもですが、他人に対しても。
他人のある面がゆるせないということは、
そこに自分が持つ葛藤があって、
その葛藤がある限り、自分自身も裁くわけです。
ゆるせないことがある限り、心の安らぎなど、望むべくもない。
だから、ゆるすために努力したのですが、
「ゆるし」は、非常に奥が深いものだったんですね。
(もしかしたら、つづくかも?)
