私の故郷 | タケシのありのまま日記

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旧名から変更しました。

今更ですが、私の故郷は鹿児島です。

鹿児島を旅立って、もう20年を過ぎようとしています。人生の半分は東京での暮らしとなりました。

ですが、やっぱり今でも故郷に対するいろんな思いは消えません。

東京で暮らしていても、例えば高校野球では必ず鹿児島代表を応援するし、天気予報でも鹿児島を見たりしますし、本籍地もまだ鹿児島のままです。

鹿児島を離れたのは、大学進学がきっかけでした。
離れる時は、全然寂しくなかったですね。これで「自由になれる!」(笑)という気持ちのほうが強くて、ワクワクしてました。

それでも毎年のように帰省はしていて、帰るたびに「戻ってきた」という気持ちにはなっていました。

でも、故郷を思う気持ちが強まったのは、やっぱりここ10年ほどじゃないでしょうか。

それまでは鹿児島にUターンすることも考えてたのですが、もう諦めてしまったので、それからですかね。懐かしい思いは。

しかし、なぜ鹿児島に生れたんでしょうね。

男尊女卑の土地柄で学ぶことに意味があったのでしょうか。結婚してカミさんに指摘されるまで、そのような傾向が染み付いていたことに気が付きませんでした。当たり前でしたので。

それとも雄大な自然でしょうか。桜島を始め、たくさんの火山がありますから、自然と火山や地球の力に興味がありました。またまた、宇宙基地が二つもある土地柄で、宇宙にも興味がありましたね。私が生れたのは種子島でしたし。

また、日本の端っこということで、昔から中央(東京)に対する対抗心みたいなものが強い土地柄のような気がします。外様大名だった島津氏の影響や西南戦争の影響かもしれません。そのためか、私も権力とか主流派というものを嫌う性質があります。言葉も全然違いますしね。

こんなところが自分に影響しているのかなと思います。

しかし、もう20年も過ぎてしまうと、時の流れを感じてしまいます。
私も徐々に鹿児島弁が記憶から薄れてきているし、東京に慣れてしまったところもあります。恐らく、今、鹿児島に住めといわれても、迷うでしょうね。
かといって、今の東京が終の棲家とも思えないのですが。

そう言えば、最近、匂いで鹿児島にいた頃のことを思い出すことがよくあります。
思い出すのはほとんど祖母の家。
祖母の家の周りは田んぼや畑の田舎でした。
木々を焼く匂いがしてくると、祖母の家でチマキを作った時の薪の匂いを思い出したり、田んぼの匂いは祖母の家の田んぼを思い出したり、肥料の匂いだと祖母の家の畑を思い出したり、食べ物の匂いがしてきたら祖母が作ってくれたカレーを思い出したり・・・。

子供の頃の匂いの記憶は凄いですね。

私の心の故郷は、もしかしたら実家よりも、祖母の家かもしれませんね~。