人間関係の目的 | タケシのありのまま日記

タケシのありのまま日記

旧名から変更しました。

人間関係の目的は、自分自身のどの部分を「明らかに」したいかを決定することであって、相手のどんな部分を把握し、つかまえておきたいかを決めることではない。

人間関係の目的はひとつしかない。
それは、人生の全てに言えることだ。目的は、ほんとうの自分は何者であるかを決め、ほんとうの自分になること、それである。

特別な誰かに出会うまでは、自分は「何者でもない」と思うのは、とても夢があるが、真実ではない。それどころか、そう考えると、相手に本当の自分とは違うあらゆることを強いるという、信じがたい圧力をかけてしまう。

「あなたを失望させたくない」ばかりに、相手は本当の自分らしくない努力をし、自分らしくない行動をしようとして、やがてはそれに耐えられなくなる。相手は、あなたの期待を満たせなくなる。割り当てられた役割を演じられなくなる。そこで、恨みが生じる。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

人生に特別な相手が現れて自分が満たされたと感じる、というのは非常にロマンチックだ。だが、人間関係の目的は、相手に満たしてもらうことではなく、「完全な自分」・・・つまりほんとうの自分という存在を丸ごと・・・分かち合う相手を持つことだ。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

ひとは、考える。・・・「正しく相手を愛することができさえすれば、相手は私を愛してくれるだろう。そうしたら、私は愛される人間になり、自分を愛することが出来る」と。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

これは裏を返せば、愛してくれる他者がいないから自分を憎んでいるひとが多い、というとだ。これは病・・・ほんとうの「愛の病」だ。この病にかかると、実は愛されているのに、それはどうでもよくなる。どんなに大勢の人が愛を告白してくれても、満たされない。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

こうして、人間関係の中で二人とも自分を見失ってしまう。自分自身を発見することを期待して人間関係を結んだのに、かえって自分を見失ってしまう。
人間関係の中で自分を見失うこと・・・人間関係が苦いものになる理由の大半がここにある。
パートナーになった二人は、1足す1は2より大きくなると期待したのに、2より小さくなってしまったことに気づく。一人でいたときよりも自分が小さくなったと感じる。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

そこで、あなたが相手のあり方、言うこと、行動に傷つき、苦痛を感じたときは、どう反応すればいいか。まず、どう感じているかを自分にも相手にも正直に認めなさい。
あなたがたの多くは正直に認めるのを怖がる。そうすると自分が「悪く見える」のではないかと思うからだ。心の底のどこかで、「そんな感じ方をする」のは馬鹿げていると気づいている。そんな自分がちっぽけなのかもしれないと。「自分はもっと大きな人間」のはずだ、と。
だが、感じるのはどうすることも出来ない。苦痛を感じないわけにはいかない。
出来ることは一つしかない。自分の感情を大切にすることだ。自分の感情を尊重することは、自分自身を尊重することだ。
あながたは、自分を愛するように隣人を愛さなければならない。だが、自分の感情を尊重できないで、どうして相手の感情を理解したり、尊重したり出来るだろう。


(神との対話より)