ネットで知り合った、淡い淡い繋がり、
花さんに会ったのは一度だけ、
例えばブログにコメントするとこんな返事、
「あんにゃん、thx.」
一度も好きとは言われなかった。
まして愛しているとなど。
言葉で規定したら想いでなく言葉になる。
それを知っていて決定的な事を言わないのが、
愛情以外の何だと言うのだろう。
thx.に
どれだけ思いを込めてくれたのか。
閲覧する他の人には気づかれようもない、
密やかな交流。
個人的にやりとりして二年ほど、
突然、彼女へ全くアクセスできなくなった。
僕は一切心配しなかった。
残念にも思わなかった。
花さんが僕を思わずにするわけがないからだ。
半年後、ふと知った、
facebook、彼女の姓が変わっていた。
ヘッダーの画像を見て、
一瞬ですべてを知った。
「大切な人が隣にいなくても
もらった言葉や思い出が
いつだって自分を支えてくれる」
セキュリティに敏感な彼女が、
この言葉が載った画像を公開にして、
「いいね!」をつけられるようにしていた、
他にも花さんが僕を待っていた根拠は、
十でも二十でも挙げられる。
伝わった。
僕は「いいね!」を押して、
そしてすぐに取り消した。
通知がいけばそれで全部伝わる。
幼い頃に僕らは前頭葉をやられている。
言語野が異常に発達しているから、
わずかな挙措で書き手の心理が見えてしまう。
僕は自分のそれを花さんに教えてもらった。
最初は不可解なだけだった彼女の言動、
その奥に籠められた意味を悟るにつれ、
無自覚だった感覚が研ぎ澄まされ、
繭の中から僕の本当の感覚が現れた。
もう、
言葉も約束もいらない。
未来もいらない。
どうでもいい。
愛というものがこの世にあったから。
ひとつ願うのは、
僕らのように敏感に過ぎる人間は、
この世で生きていくのはつらいけど、
愛がほんとうに在ると見出せれば、
誰よりも幸せになれるのだと。
それを伝えたいと思うひとがいる。
傷の舐め合い?
笑わせる。
かたちないものが見えない鈍重を、
哀れに思っているのは、
僕らのほう。