高校時代から「幸せ」というめっちゃ主観的な概念について考えることが好きで、夏休みの読書感想文がうざいくらいの内容だった片岡ですが、何か?
自分の人生に起きる様々な出来事と、
それ以上に自分がそれに対してどう感じてどう反応するのかが鍵だと思ってはいるものの
もともとのヘタレな私は
まるで暗い井戸の底で両手両膝を冷たい土について
「もうだめだー」という境地になりやすい。
挫折するとそれはそれは漫画みたいに絶望する。
若い頃は、それを無理矢理背負い投げする勢いで
ポジティブに捉え直して、本音を分厚い粘土で覆って
平気なフリをして、自分に我慢ばかりをさせていた。
我慢ばかりして、笑顔の下に怒りが溜まる。
自分を騙して我慢ばかりすればするほど、上手く行かない。次から次へと辛い事が起きる。
だから、自分のことは騙してはいけないのだ。
他人にばかり優しくして、自分に優しくしないと
やっぱり同じことが起きる。
だから、自分に一番優しく声をかけて、誰よりも労ってあげなくてはいけないのだ。
まさに最近辛い事が押し寄せていた原因は、またやっちまった自分いじめの結果だった。
20代半ばのある時、主観的な概念の幸せっちゅうやつは自分勝手な人に集まりやすいと気づいた。
それまで我慢ばかりをしていた私が、我慢をやめて本当に自分勝手をやったら良い事ばかりが起き始めたから、それはそれはびっくりしたのだ。
知り合う人も、ガラリと変わった。
ここで勘違いされやすいのは、自分勝手は誰かの迷惑になるのではないか?という事。
でもね、我慢して泣きながら怒りながら不満のため息をつきながら側で生きられる事ほど周りの人に迷惑なことはないのだ。
我慢して苦労の先のゴールに幸せがあるんじゃなくて
せんべいの裏と表みたいなもの。
あれ?こっちか?
と突然見つかる。
立っている場所は同じなのに
裏返したらそこに燦々とある。
早く言ってよ〜!
私の繰り返してしまうパターン。
努力と忍耐が人より極めて得意らしく、
楽しく突き詰めているうちに
ストイックなゾーンに入る。
それがある域を越えてしまうと
良くない状態になる。
幸せへのポイントは
被害者意識からの脱却。だといつも思っていて
それも無理矢理ポジティブになるんじゃなくて
手を抜いて
自分勝手にやって
楽して脱却する。
久しぶりにやたらとストイックモードになったら
追いかけるように現実までストイックになって
やっぱり面白いなーと思った。
昔はこれを数年単位で繰り返していた。
でも、今は気づいたらすぐにポイントを切り替えられるくらい客観的になった。
さぁ、楽しいレーンに戻ろう。
#人体実験
#観察