恩師 |   らーめんふぁくとりーのすけのブログ的なこと

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   ~いっしょうけんめいやってるんですけど~

偶然と言えば偶然。 でも、なんかあったんだろうね。

今朝、何の前触れもなくふと気になったのが小学校の頃のある先生の事。

小学校時代の話ですから、もう30数年以上前の話ですが、彼は俺にとってはホントに唯一無二の先生。

この歳になるまでに学校や学校以外でもいろいろな先生に出会いましたけど、やっぱりどう考えても特別な先生なの。

親父の葬式に来てくれて、「先生。来てくださったんですね」って言ったら「やんぶーの名前忘れるわけねーべ」って。

「やんぶー」ってのは小学校時代のあだ名。

新聞の死亡広告欄で30年以上前の教え子の名前を見つけてわざわざ足を運んでくださった。

その後、白銀でやってたチェーン店時代にも数回来てくれたのが元気でお会いしたのは最後だから7.8年前だろう。

昼前に同級生からLINEで確認が来て、急いで新聞を確認すると、住所氏名ともに間違いない様子…。

亡くなったことを知りました。

仕事終わりで遅い時間でしたが事前に電話連絡をいれた上で会いに行ってきました。

3年半の闘病生活を終えての永眠だったそうです。

奥様には数回お会いしたことがあったので覚えていてくださいました。

震災後、「やんぶーのラーメン屋がどうなったか気にしてた」…って奥様から聞きました。

その後、三春屋に居る事はご存知無かったようです。

多分、各メディアで取り上げていただいている時期はすでに闘病生活に入ってたんじゃないかな?

お顔を見ると優しい笑顔そのままで少し安心したんですけど、変に痩せてやつれて変わっちゃっていないので、今の俺のらーめんを食べさせることができないのが寂しかったりして。



小学校低学年の頃、学校が嫌でした。

勉強ができなかったとか、いじめられてたという事は全く無いんですけど、とにかく学校が嫌いでした。

仮病じゃないんだけど、ホントにお腹が痛くなるし、ホントに熱が上がるんだよ。

今で考えるとストレスとか精神的なものなんだろうけどね。

それが、野田先生が担任になってから全く無くなったの。

本当に学校が楽しくて楽しくてお腹も痛くならないし熱も出なくなった。

なんなら「熱があっても黙っておこうw」ぐらい学校が好きになったのね。

言葉では説明しきれないけど、自然体の野田先生に惹きつけられた…ってのが近いと思う。

この年になると誰しも小学校の頃の記憶ってあんまり無いんだろうけど、野田先生から勉強を教わった記憶は全く無いw

だけど、いろんなことを教わった。

ホントにいろんなことを教えてくれた唯一無二の恩師。

「学校は勉強を習うためだけの場所ではない。本当に大切なのはそれ以外のところにある」

それを教わった。言葉としてではなく。

先生は間違いなく俺にとってはいまだに先生。




最後に話したのはもう何年も前だけど、元店で小上がりに座ってる先生のところに行って「先生今なにやってんの?」って失礼な質問をしたら「轟で校長やってる」って若干恥ずかしそうに言ってたあたりがちょうどいいんだよなw 「俺が校長っておかしいとか思ってんだべ?笑」 って、元教え子に対して微妙にその裏に見え隠れしてる感じ。
でもね。今夜、奥様が言ってくださいました。
「今度、一緒に三春屋の5階に食べに行きます」
かたぢあるものみなかれる。(←形のあるものはみんな壊れる)つまりは諸行無常。
だけど、「そのときは先生に何を食べさせようか?」帰り道運転しながら普通に考えてた。
かたちは無くとも想いは届く。きっとそう。…なので野田先生には「おらほの中華そば」に決定w
俺の基礎であり基本。これが俺にとってのラーメン。
本当ならば実際に食べさせたい。
ご家族の皆さんのお気持ちを考えると本当に心苦しいのですが、30数年前の教え子が心よりご冥福をお祈り申し上げます。

故・野田 勝先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。野田先生!本当にありがとうございました。