東北自転車観光05|ペダルよ!あれが八戸の灯だ | r e z a の ブ ロ グ

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  140 文 字 で 書 き 切 れ な い タ ワ ゴ ト。

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十和田観光3日目の朝食。前日もそうだったけどバイキングではなく1人前ずつお盆で給仕して頂いた和食。

実は普段平日朝食たべないのだけど旅先は別。それは自転車旅である事が多いからでもあるけど、とにかく朝から食欲旺盛。ご飯お代わりしつつ十和田の美味しいものを頂く。ご馳走様♪

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大変お世話になりました。

チェックアウト済ませ、宿の裏の構造物にチェーンロックで括らせてもらっていた折りたたみ自転車出して海を目指す‥、が、宿から数100mのまだ十和田市街、異様なスケールの鳥居に出くわす。なんだろう、神社かな?

 

 

 

(水を湛えた整然とした池に鎮座するのは新渡戸傳像)

 

折角だから寄ったそれは、太素塚(たいそづか)と新渡戸記念館を擁する太素公園だった。

記念館の名前で分かるように太素公園は、新渡戸傳(にとべ つとう)を記念した公園だった。太素はその傳さんの屋号です。

 

昔、十和田がまだ三本木原と呼ばれていた頃の其処は、荒涼とした原野で凶作や飢饉が深刻だった。のを、南部盛岡藩士の新渡戸傳さんが奥入瀬川から、人工の河川で三本木原に上水する工事に着手した。

奥入瀬渓谷から続く追良瀬川の流れは豊かだけど、それは三本木原より標高の低いところを選んで太平洋に注いでいた。三本木原は奥入瀬川より30mも標高が高いのだ。その関係で人工の河川を引くのは、奥入瀬川のかなり上流から2.5㎞と1.6kmの穴堰=トンネル2箇所も掘り抜く大工事になった。

 

 

 

(1980年に当時の農林大臣によって著された頌徳、読んでみると筆致が熱い。タイトルが新渡戸傳爺 之像となっている通り、この偉人は尊敬と親しみを込め爺を付け呼ばれる)

 

十和田発展の礎となった人工河川:稲生川。その上水事業は傳の嫡子である十次郎が引き継ぎ、三本木原の都市整備計画も担い、それが現在の十和田市に繋がる。もちろん稲生川は現在もサラサラと、田畑のはざまを流れます。

なんか「歴史秘話ヒストリア」で絶対取り上げてそう(または今後絶対取り上げそう)な胸が熱くなるような歴史が埋設されていたんですね十和田には。たまたまだけど寄る事ができて良かった。

 

 

 

時刻が早かったからか太素公園は静かだ。他に目につく人は、落ち葉を掃き清める公園管理のスタッフさんと散歩のご老人が1人、2人‥。

新渡戸家や十和田ゆかりの品を所蔵・展示する新渡戸記念館も静まり返っている。もう少し時刻が遅ければ見学できたかなと、十和田の歴史に思いを馳せる。

 

ちなみにその新渡戸記念館の元となる、新渡戸文庫を開設した人達の中には、十次郎の三男で上水なって初めて収穫された稲にちなんで稲之助と命名され後に改名した、農学博士で法学博士で国際連盟の事務次長で、五千円紙幣が現在の樋口一葉さんになる前のD号券に刷られていた新渡戸稲造(にとべ いなぞう)その人もいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いま駄文を打ちながらネットサーフしたら、新渡戸記念館はいつ訪れていても見学叶わない事が判明、残念ながら2015年から閉館していた。

 

主な理由は建物の老朽化・強度不足だった、筈だけど後からそれを主管する十和田市は財政を理由に取り壊しを決めた事が露呈。誰だって歴史を語るものを無闇に壊したくはないだろいうけど、現在取り壊しを決めた市と、記念館関係者や存続派市民とで揉めている。

双方に言い分はあるだろうけど、耐震性に問題があると主張する市と、その判断は科学的な根拠が乏しいと存続を主張する存続派の溝は埋まらず、判断は青森地裁に持ち込まれ未だ決着がついていない(記念館の所蔵文化財の保存管理は現在も、ボランティアによって続けられています)。

 

 

 

思い出した。

十和田観光1日目の夕方、十和田市民交流プラザ「トワーレ」で見た、ジオラマの太素祭の場所はこの太素公園だ。それは太素祭で5年に1度行われる大名行列の様子が再現されていた。

5年おきにそんな事になっているお祭りは、地域の人にとって大切な行事である事が想像されるし、それが十和田を拓いた先駆の人:新渡戸さんと、十和田の歴史に想いを馳せるものだとしたら新渡戸記念館は重要な「拠点」であるに違いない。

 

 

 

ならばなんとか存続し、できるなら遠くない将来折り合いがついて、耐震強度が足りないのなら修繕もして再開館する事を願う。

その過程でクラウド・ファウンディングなどでカンパ募ってたら微力ながら協力する事はやぶさかではないし、太素祭が雪の季節でないならまた折りたたみ自転車抱えて訪れるのも良いなー。

いやちゃんと調べたら太素祭は、三本木原が稲生川によって上水された1859年(安政6年)5月4日を記念し、例年5月3日から開催されていた。

 

新渡戸記念館のHPでは新渡戸家の館長さんら存続を願う人達がその存亡をかけ、踏ん張っている事が綴られている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

散々遊んだ十和田に別れを告げ、本格的に海を目指して巡航する‥

 

筈が、走っていた六戸町(ろくのへちょう)は県道45号沿いで早くも、発見した「メイプルふれあいセンター」に引っかかる。と言うかこのような道の駅的な施設に私は目がないから、素通りしろって方が無理なのだ。

 

おやつに、地もののトマトジュースと手造りのおにぎりを休憩スペースで頂く。

そのトマトジュースの濃厚さに驚く。すごくドロっとしてて実はトマトピューレを間違って買ってしまったかと焦ったほど。飲み物として飲めるギリギリまで濃厚な上にもの凄く甘い。勿論砂糖も塩も無添加だけど、普段飲んでるトマトジュースとは別次元の味わい。おにぎりの“青唐辛しみそ”も絶品。

 

 

 

メイプルふれあいセンターの敷地に移設されている古民家:旧苫米地家住宅(旧とまべちけ住宅)。文献の類いが失われているから推測だけど、六戸町に存在する民家で最古=江戸時代後半に建てられたらしいとの事。

建物正面左側にある出入り口の一段低い板敷のものは式台(しきだい)と呼ばれ、客の送迎や挨拶をする、武家屋敷にあった様式との事。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

県道45号沿いでもう1箇所、たまたま遭遇した「おいらせ阿光坊古墳館」も素通りできなかった。

館外観の画像は撮り忘れたけど新しそうなそれは、失礼ながら児童館に毛が生えた程度の施設だと思ったらとんでもない。入館料もバッチリ徴収する、阿光坊古墳群と呼ばれるこの一帯の古墳の発掘成果のアウトリーチだった(今調べたらオープンは2017年)。

 

 

 

展示スペースは決して広くはないけど、分かりやすい充実のミュージアムだ。それを駆け足で巡り、分かりやすいからこそもっとじっくり見学すれば良かったと悔が残った。

後から、貰ったパンフレットを確認したらこの古墳館は、古墳が転々と発掘されたご当地に建っていた。だから周辺でそれら古墳群を実際探訪する事もできたのだ。

 

 

 

2階はワークショップを開けそうな部屋を備え、私が訪れた時はフリースペースとして解放されていた。

触ってもいい出土品の欠片や、水草やイモリ(可愛い♪)が棲む水槽や、高台に立つ館からの眺めを楽しめる燦々としたその空間に癒される。自転車とかこの日帰る事とか忘れてダラダラと、長居&昼寝したくなった。

→ おいらせ阿光坊古墳館

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まぁそういう訳にもいかないから、県道45号上に戻って海を目指します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さっき海を目指すと言ったが、あれはウソだ(CV:玄田哲章)。

 

私が心の底から目指していたのはこの八食センターだ。そしてこの八戸の食の殿堂で、私の東北自転車観光は大団円を迎えるのだ(たぶん八戸港にも行くけど)。

 

 

 

此処はパラダイスか、シャングリラか、ユートピアか(落ち着け)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

メーテル、これで機械の体を只でくれる星へ行くっていう999号に乗れるんだね(幸せのあまり思考が壊れてます)。

 

なんとか正気を取り戻し解説すると八食センターは、数多あるお店で魚介類を物色、気に入ったものを買って持ち帰るなりお刺身とかは店先や休憩所で食べたちゃってもいいのだけど、センター内の七厘村なるスペースでちょっとばかりの利用料を払うと、炭の七輪を出してくれて、購入した海の幸を座席に陣取り自由に焼いて食べられる。めくるめく夢のような世界が今花開く。

 

七厘村はごはんや飲み物も別途頼めます。つまり、望めば宴会状態に移行・埋没できる。

しかし私の東北自転車観光には構造的な欠陥があった。移動中はお酒が飲めないのだ! この悲惨な画像がそれを如実に物語る。

 

が、これ1人で食べちゃうけどイイの?ねぇイイの? ってな鰆のお刺身とか、生牡蠣とか、その場で炭火で焼いた秋刀魚とかアワビとかイカとか、目移りしながらアチコチのお店で選んだ魚介類の美味しさは、宇宙の謎の1つや2つ抉じ開けそうだった。

 

そもそも刺身で鰆食べたの多分初めてだし、刺身じゃなくて焼いたイカが甘いと感じたのも多分人生初。

前言撤回、八食センターは人類を堕落させる悪魔の要塞だ。その尖兵たるご当地八戸の美味しい海の幸のお供だとノンアルコールビールも豊漁の祝い酒だ(自ら進んで堕落)。

八食センター

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

八食センターからザっと走って黄昏の八戸港へ。

 

 

 

八戸港はターミナル港でした。ターミナルの建物は静かだけど旅情を感じます。ここから、停泊しているフェリーに乗ると苫小牧に至ります。いいな、船旅もいいなー。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(画像右下にちっこく写るマイ フォールディング バイセコー↑)

 

フェリーのターミナルではないゴツい貨物専用の構造物が海上に伸びていて、その陸側にはパルテノン神殿みたいな巨大な倉庫が連結されています。近づくとなぜかケンタッキーフライドチキンみたいないい匂いがした。なんの物資を扱っているんだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

八食センターのロッカーに、リュック代わりに背負ってたメッセンジャーバッグ突っ込んだまま八戸港に向かったから、センターが閉店する前に一旦引き返しバッグ回収、そこから東北新幹線で輪行帰京すべく八戸駅へ向かう。

 

八食センターから八戸港は6km程度、八食センターから八戸駅は4km程度だから雑作もない。その八戸駅周辺は、これまでの東北観光の時空とは異なる直線的なビルが林立する、日没後も煌々とした都会でした。

 

 

 

また、話戻るけど八戸港は、私が見たのはそのホンの一部だった事が帰京後判明する。

ターミナル港であるのは勿論、工業港である上に、そのお膝元に八食センターを擁するのだから当然漁港であり複数の市場を備え、自然公園もあるその広大な港湾は(関係者以外立入禁止エリアもあるだろうけど)見学するなら丸1日、いや2日以上かけるべき多彩な超観光スポットだったのだ。

ちょっと後悔しつつ、まぁいい。一度に見倒す必要はない。想いを残しておけばいつかまた訪れる事もできるだろう。

 

帰京後見つけたYouTube動画「すごい!八戸港2019」によると、前述のパルテノン神殿は、東北の畜産業を支える複数の会社からなる八戸飼料穀物コンビナートだった。動画を通して見ると八戸港が東北の産業の結節点ある事がうかがえる。

https://www.youtube.com/watch?v=4DUWIuL_VQA&t=2s

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

八戸駅の新幹線待合室にて。自転車はもう畳んじゃって帰宅するまで乗らないからお疲れの一杯♪

 

新幹線車中、この日の十和田から八戸までの走行距離は53.48kmだった。ちなみにこの東北自転車観光3日間の総走行距離は143.36km。武闘派の自転車乗りは鼻で笑う数字だけど有意義だった。

 

最近自転車はポタリング(=日帰りのサイクリング)ばかりで輪行や宿泊を伴う自転車観光をしなかった。遠方でどうしても訪れたいと思う地域を思いつかなかったし、宿の手配など最低限の準備も面倒だった。自転車に乗らないでいると禁断症状?は起きるけど、それは週末のちょっとした走行で解消され続けた。

 

そんな中今回の東北自転車観光は一旦イメージするとむくむくと、旅エネルギーをマグマのように貯留した。しかし自転車旅は天候に大きく左右されるから、週間天気予報で雨以外の天候が告げられるくらい直前に計画しなければならなくて、幸いにしてその一発勝負を決し、フリーダムに観光できた。

また、一度訪れるとその地域への渇望はグっと落ち着くのが通例だけど今回は少し違うようだ。今も機会があれば青森に赴きたい、つか舞い戻りたい感じ。そんな旅情を体現させた青森と青森の人たちに感謝だ。

 

→ 東北自転車観光01 | 十和田市現代美術館へ