Place Victor Hugo。左手は16世紀の噴水 Fontaine Saint Quentin。

こちらがヴィクター ユーゴー氏のご実家。その後、一度もブザンソンに戻ってくる事はなかったらしいが、お母様も亡くなっていたし、単純に戻る理由がなかったのではないかと思う。
12h30~13h30の間は昼休憩で閉鎖し、次回は13h30オープンらしい。絵の少年は、恐らくヴィクター ユーゴー。
階段を上りながら見学する様に言われる。ヴィクター ユーゴーの大ファンである、政治家の Robert Badinter がこの美術館に宛てた手紙。2013年9月13日。
階段両脇の展示。まずは当時の歴史から。

ヴィクター ユーゴーがフランスから亡命しなければならなかった当時の初期。
1853年。
名作、レ ミゼラブルを執筆中の彼。確かイギリスに滞在中だったと思う。以前よりも柔らかい表情。
1862年。カッコいいので、後でこのマグネットを買った!
人生終盤の彼。歳を重ねる度に、ますます魅力的な顔立ちになる人だと思う。
新聞 Le Monde に使用された彼のデッサン。
1862年。
1882年。
ヴィクター ユーゴー直筆の手紙。1880年12月。めっちゃ読みにくい!
こちら翻訳。フランス国民宛ての様。とてもポジティブな内容で元気が出る。
こちらは彼を批判したイラスト。Une salade dans un crâne = 脳ミソはサラダ!
La pensée est plus qu'un droit, c'est le souffle même de l'homme. Qui entrouve la pensée, attente à l'homme même . 
Florent Pagny 作曲の Ma liberté de penserを連想させた。常に想像は自由自在だ!

こちらも彼への批判。上は雑誌L'éclipse に登場する予定であったが、最終的に禁止された。
右手はユーゴー氏の2人の息子。ユーゴー氏寄りで、常に良い関係を築いていたらしい。
彼のパリの家でのパーティーの様子。
1874年~、21 de la rue de Clichy に住んでいた。
絵の中央にある、象の置物でユーゴーの私物だった。後に同じ建物の3階に住んでいた義理の娘から、ブザンソンに贈られた。
ユーゴーはオリエンタルな物を好む傾向があったらしい。
隅に沢山の本、本、本…
インターナショナル図書室で、アジア、中国、韓国、日本語訳、マンガもアリ!
彼も見たであろう、窓からの眺め。向かいに小説家で友人のシャルル ノディエが住んでいたらしい。
この美術館は地下、0階、1階を占めているが、ヴィクター ユーゴーは、何階に住んでいたんだろう?聞いてみるべきだったと後悔する。
こちらの人形は、レ ミゼラブルに登場するコゼットの人形。
ボタンでライトアップ、オフ出来る。
ユーゴーのお父様。Menuisier 指物(さしもの)屋の息子だったが、軍人としてナポレオンのお兄様、ジョゼフと一緒に闘った。
ヴィクター ユーゴーの幼馴染みで妻。後に彼女の希望で破局。
彼のお母様ソフィー。3人の息子を1人で育てた。
ヴィクター ユーゴーの誕生。

ユーゴーのデッサンのコピー。

Sénat (元老院)での2度目のスピーチ後、"Le vieux briseur de fer" = 鉄を砕く爺さん、と表情された!
フォンテンヌ ブロー城でも見たナポレオン3世。ユーゴー氏の亡命の種… 左手も同じ像だが、胸の部分が壊れている。
若かれし頃の彼。ロマンチック系で一番強い人、と言われた。
別の窓からの眺めで中庭。
地下は短期展示会。
世界中で正当な権利を得る為に闘った人々の写真。

パリの家にあったユーゴーの家具。ガラス製。こちらもオリエンタル。
0階へ戻る。
彼が住んだあちこちの家。
ロダンからの申し込みで完成した、ユーゴーの彫刻。
彫刻家のサイン。

ユーゴーの友達、David d'Angers が制作した、若かれし日のユーゴー。
ジョゼフ ナポレオンが、ユーゴーのお父様に宛てた手紙。(引き出し内に展示。)
小説家、シャルル ノディエ。ユーゴーの向かいに住んでいて長年の友人。
ユーゴーが他の地でもブルゴーニュ出身の同郷者達と積極的に交流を持ったのは、ノディエのお陰であると言われている。


読み物が沢山の美術館であった。
ヴィクター ユーゴー氏のご実家を後にする。ちょうどランチタイム!