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Plan du Cimetière du Père-Lachaise PDF

メトロ2番 Philippe Auguste側からがメイン入口。(地図上、南)
フランスで最初の火葬場(1890年)、納骨場(1893~1912)、灰を納める庭(1985年)がある墓地。

なるほど、後で中国系の墓を沢山見るのだが、彼らも火葬を希望したのかな、と思う。
正面が Monument aux morts。特に左手(4区域)に著名者の墓が続く。出入口にインフォメーションがあるのだが、なぜか閉鎖。現在14hだが、まだお昼休みか?!
入ってすぐにある一般市民の墓だが、美しく目を惹く。
左手から大通りを北へ進むと、火葬場と納骨場。
こちらも一般市民の墓だが、素晴らしい浮き彫りの絵。
どなたか分からないが、墓の上でリラックスするユーモアが好き。お参りに来る度に「あちらの世界でゆっくりしてるよね」なんて思える。
家族単位の墓。棺には赤ちゃんの彫刻があるし、両側の彫刻は号泣していて悲しくなる...
A.PERDONNET。
François ARACO。
イタリアの作曲家、ROSSINI。
作家、Alfred MUSSET。
フランスの大臣、Léon Philippe BECLARD。
Comte = 伯爵。
貴族のブルジョワジーかと思ったが、ANICET-BOURGEOIS と言う名字があるらしい。
軍人の方々。
墓の彫刻にもモードがあったかと思うが、他人のこちらまで悲しくなる。
BAUDRY。「彼のファンと友達からボードリーへ」とある。心暖まるメッセージ。
Monument aux morts。
下段に家族3人と、迎えに来た天使?
上段は人々が両側に並んでいて、順番にあちらへの世界へ促されている様な... 
Ledru Rollin。
Albert BARTHOLME。サン バジリック聖堂のネクロポリスを想わせる。
右手は10区域。こちらにショパンの墓があるらしい。
イタリアの作曲家、CHERUBINI。11区域 Chemin Denon。
ルイ18世とシャール10世に仕えた音楽家。
その先にショパン。常に花と人が絶えない。
こちらはエジプト系の彫刻か?
Rond-Point Casimir Perier。この先、28~30、37~39区域に、ナポレオンに仕えたマレシャルやジェネラルの墓があるらしい。
Gaspard MONGE。
屋根が無い状態の彫刻は、勿体ないが崩れ易い。
更に右手に進み、17区域へ。

ケレルマン一族の墓。フランソワ・クリストフ・ケレルマンはVALMYの戦い、息子のフランソワ・エティエンヌはMARENGOの戦いで功績をたてた。公爵でもあったそうだが、立派な墓で目を惹く。
その上にある、ギリシャ神殿の様な墓と、ナポレオンの棺に似た墓がとても気になる。
脇の階段から上ってみた。近付いて気が付いたが、神話の動物の様な彫刻がある。
お隣はクリスマス チョコレートを想わせる柩。
棺が護られている様。
ロシアのComtesse = 伯爵夫人? Élisabeth Alexandrovna Strogonoff の墓らしい。場所は19区域 Chemin du Dragon。
日本名の墓を発見!まだご健在である。
Amiralle BRUAT。Gouvernante des enfants de France。
29区域へ。
ジェネラルで政治家、Maximilien Sébastien Foy。Waterlooの戦いにも参加している。50歳で死去。
ジェネラル、Jacques-Nicolas Gobert。グアドループ出身で、48歳にスペインで死去。下の台の浮き彫りは、Famarsでの戦い。彼と Foy の名前は凱旋門に刻まれている。
H.LAPREY。ナポレオンの遺書に、今まで逢った人の中で最も正直で真っ直ぐな人であった、と記されている。

A LAPREY
L'HOMME LE PLUS VERTUEUX 
QUE J'AIE CONNU
TESTAMENT DE NAPOLÉON 
ジェネラルであり公爵の Nicolas Antoine Sanson。引退後、67歳で死去。
マレシャル、Louis Nicolas d’Avout DAVOUT。ナポレオンと数々の戦いに参加している。

エンジニア兼、開発者である、ドイツ出身のFrédéric Albert Winsor。現在、37区域。
ニース出身のマレシャル、André Masséna。RIVOLI、ZURICH等々... の戦いで功績をたてる。ナポレオンからは « l'enfant chéri de la victoire » 勝利の子、のあだ名を貰った。
ジェネラルで伯爵、Charles-Étienne-François, comte Ruty。

マレシャル、Joachim MURAT。奥様はナポレオンの妹、Caroline BONAPARTE で右手に彼女の名前が刻まれている。
ジェネラル、Louis Nicolas Marin Leclerc des Essarts。
マレシャル、Jean Mathieu Philibert Sérurier。

愛犬家だったのかもしれない。
アルザス出身のマレシャル、François Joseph Lefebvre。
39区域へ。
公爵、Denis Decrès
伯爵夫人、Marie Anne Eléonore。ルーブルに彼女の肖像画がある。
コロネル、Louis François Richard Barthélémy de Saizieu。

ジェネラルで伯爵、Louis Jean Baptiste。
ジェネラルで伯爵、Pierre Riel Beurnonville。
公共チャペルかと思ったが、家族の墓。中に祭壇 + 墓があるのだと思う。
遠くにモンパルナスの塔が見える。
オランダ出身の公爵、Charles Henri Ver-Huell。
彼の墓も又、ナポレオン保護記念碑とされている。

26区域 Chemin Monvoisin へ。


同じ26区域 Chemin de Molière et la Fontaine にはモリエールと...

隣にジャン ドゥ ラ フォンテンヌ。
ジャン ドゥ ラ フォンテンヌは、1695年にパリ中心部の墓地に埋葬後、1792年、フランス革命時に墓地転送が決まり、1817年からペール ラ シェーズ墓地。同世代で彼より22年早く亡くなったモリエールについては、何の情報もない。本当に彼がここに眠っているのか疑問である。
フォンテンヌブローの森で見た昔の噴水を想わせたが、よくよく考えたら、棺の転送跡かもしれない。
ジェネラル、Jean-Marie Vergez。
下に大きめのチャペルが見え、気になり下りてみたが...
一般市民の墓でした。公共のチャペルは墓地中心部にあるので、次回訪れよう!
コロネル、Jean Baptiste Saviot。24区域。
そして見つけたのが、ジェネラル、Gaspard, Baron GOURGAUD。サント エレン島からは1818年に去っているらしいので、1815 -1840 の記載が不明。

彼は映画 "L'Otage de l'Europe" でナポレオンが「ムッシュ グルゴゥ!」と呼ぶ度、自分には「ムッシュ Go- Go-!」に聞こえてしまい、よく覚えている。


見つかって嬉しい!全くチェックを入れていなかった、23区域の角です。
俳優、Philippe Teymour Khorsand。

1956年、ロシアに対し暴動を起こしたハンガリー側の指導者、ナジ イムレー氏の記念碑と思う。

87区域にある火葬場。まるで寺院の様。
地下が納骨場。反対側にも入口があったので、かなりの広さがあると思う。
周囲にも墓。小さいので、火葬を希望した人のみだろうか?

現在16h30で訪れてから約2時間半。事前に行くつもりでいた場所をまわりきれていないが、計画してまた来よう!現在地は北側なので、帰りはメトロ3、3bの Gambettaを利用。