★9月28日の誕生花 フジバカマ★
フジカマバの花言葉 【あの日を思い出す】
「365日の花言葉と」
というサイトに誕生日と誕生花、花言葉などが紹介されています。
今日9月28日は、もう一つの私の誕生日です。
もう一人の私が誕生した日。
悲しい書き方ですが、長年大切にしてきた子宮と卵巣とお別れした日。
最初の卵巣がんの手術をした日!!!
あれから1年。
主治医にも、今回の入院時に言ってしまいました。
「明日で1年です・・・。結局、1年も治療が続いてしまいました。
でも、治療だけの1年ではなく、好きなことや楽しいことも経験しながらなので、これからも頑張れます!」
すると主治医、ニコニコと笑いながら、
「そうですね。2年目突入ですね!」と。
このニコニコ顔とこの言葉を聞いたら、先生も私が2年目を迎えられること嬉しいのかなーなんて勝手に思って嬉しくなってしまいました。
手術前は、がんそのものよりも、子供が産めなくなることがショックで、また自覚症状の苦しさ(腹水・胸水)、眠れない毎日がつらくて、検査検査の毎日が不安で・・・。
そんな気持ちに押しつぶされそうだったなー。
しかし、手術を受けた当日、去年の今日から「問題」が変わりました。
まず、手術当日の朝から大変だったなー。
前の晩に飲みきれなかった下剤(飲むと吐いてしまった)が上手く働かず、朝になって下痢になった。
で、おまけに個室のトイレが壊れあふれてしまった。下痢なのに。
泣きながら、ナースステーションのトイレを借りた。
それでもうまくいかず、恥ずかしい話、「おむつ」をして手術室まで半泣きで運ばれたの・・・。
術後、人一倍痛がり(らしい)私は、硬膜外麻酔があるのにも関わらず痛みに耐えられなくて、忙しい看護師さんと妹の手を握って泣いてばかり。
体が動かない、動かせない、「通常は翌日に歩く?」なんて絶対ムリ!
「手術をすれば眠れるようになるよ。」なんてウソ!!
安定剤も効かない、痛い、苦しい、腰が悲鳴を上げるぐらい痛い(子宮を摘出するとひどく痛む場合があるらしい。)。
術後の早いうちから起きた更年期症状のホットフラッシュ。
そんな私を気の毒そうに「上から」見る家族の哀れむ目が嫌だった。
して欲しいこと、思っていることを伝えたくても声に力が入らず伝わらない。
ただ、妹だけが、以心伝心なのか私が求めることを分かってくれ、「上から」私を見るのではなく、ベッドの横に跪いて手を握ってくれたなぁ。
こんなんで立ち上がれることが出来るの?? 普通の生活が出来るようになるの?
不安と自信のなさで情けなくもなった。
確かに人よりは回復が遅かった(らしい)。
主治医からも「あまりにも痛がるので、正直どこまで痛いのか本当に痛いのか大げさなのか分かりません・・」と家族にもらしたとのこと。
そして、歩けるようになっても同時期に手術をした方に比べて、明らかに歩くのが遅い。
背中がまっすぐにならない。
このことを主治医に言うと、「術後の回復は人それぞれだから、比べることはないですよ。」と。
本当に痛かったのが分かってもらえていたのね。。。(;^_^A
それでも「回復が遅い自分」にまた自己嫌悪。
でも、、、、
妹にたびたび言われました。
「術後は、今日より明日、明日より明後日、明らかに回復しているんだよ。」
人よりは回復が遅くても、確実に一歩一歩。
とは言え、結局退院日まで気持ちが追いつかず、普通ならニコニコ顔で退院するんだろうけど、私は泣きながら退院したのでした。
普通の生活に戻ることへの不安。
実際、健康な人々と接することや、テレビで元気な同年代の方が出演しているのを見るだけで悲しくなりました。
元気な友達からの、充実した毎日の報告の電話もつらかった。
そんな電話の後には泣いていたな・・。
それが落ち着くと、今度は「がん」そのものの問題。
自分で調べ、あまりにも低い「5年生存率」に落ち込む。
胸水、腹膜播種があった私のおなかは「手術で腫瘍は8割程度が取れました。」という結果。
残りの2割を抗癌剤でたたきます、とのこと。
補助療法ではなく、私の抗癌剤治療は、見えるがんそのものをやっつけることが目的です。
それなのに、当初聞いていたTJも反応が鈍くなり、骨髄抑制がひどくなり投与が延期、タキソール単剤に変更して逆にマーカー上昇。画像上も増加。
1年も経たないうちにセカンドラインの抗癌剤・・・。
現状では、セカンドラインのアクトポちゃんがいい仕事をしてくれているようで、ホッとしています。
それでも、あと何クール続けるかは見えていません。。
で、今に至ります。
長々と書きましたが、「手術をすれば治る」のではなく、「手術をした日から治療が始まる」そんな感じです。
そういった意味でも、1年前の今日は「新しい自分」が生まれた日。
この1年、このように治療はなかなかすっきりとはいきませんでしたが、心は変わりました。
自分で言うのもなんですが、強く、なりましたっp(^-^)q
看護師さんにも先日の入院で「れひさん、強くなったよね。乗り越えたものね。」 とも言われましたの!
うーん。
まだ「乗り越えた」とは言える自信はありませんが、強くはなったと思います。
今日、母親ともしみじみ話したのですが、
人から強くなれといわれて強くなれるわけではないのですよね。
乗り越えろ、と言われて乗り越えられるわけではないのですよね。
家族だったり、医療関係者の方々だったり、友達だったり、彼だったり、患者仲間だったり、そしてネットを通じて知り合った皆様の言葉ひとつひとつ。
私の場合、「ネットを通じて知り合った皆様の言葉」に強く励まされました。
直接「強くならなくちゃだめ」「乗り越えなくちゃだめ」「泣いちゃだめ」なんてこと、誰もおっしゃいません。
(あ、でも「お互いに乗り越えましょうね。」これは私が好きな言葉の一つ♪
病気、気持ち、いろいろなことを含めて、お互いに小さな一歩だけでも前に進めたらいいですね、そんな気持ちで私もこの言葉を使っています。)
部位は様々ですが、「がんになった」という同じ体験をされた皆様。
がんに限らず、他の難病と向き合ってきた方々。
勇気をいただいたオストメイトの方々。
がん患者のご家族を支える皆様。
がんや病気とは関係なくても応援してくださる方々。
皆様の体験や気持ちを聞くことで、「自分ひとりじゃないんだ」そう強く思えるようになったのです。
そして、落ち込んだ気持ちを明るくさせてもらったアドバイスの数々、明るくなる楽しいみなさんの記事やカキコミ。
そういったみなさんの言葉や体験、気持ちを自分の中で整理して、「時間薬」で自分の中で自分の力で解決するのではないのでしょうか。
私はそう思っています。
9月28日の誕生花 フジバカマの花言葉【あの日を思い出す】を見たときには大きな衝撃を受けました。
これから治療に立ち向かい、いずれは目標である職場復帰、自立した生活、結婚もまだあきらめたくない・・・と、今後も問題は山積みであることは想像できます。
そんなときは「あの日」を思い出したいです。
あんなに辛い思いをしたんだ、これ以上の辛いことはある?
そう思って「乗り越えて」いきたいと思います。
なーんて、今後もここでグチることも想定内ですが^^;
そのときは、覚えていたら言ってくださいね。
「あの日を思い出しなさい」と!?
そして、「自分の可能性を否定せずに、生きている幸せ」を実感し続けていきます。
まだ「病気になった意味」(「理由や原因」じゃないよ。)ははっきりとは分かりませんが、探し続けていきたいと思います。
「希望と勇気と忍耐」を持って治療に臨みます。立ち向かいます。
そんな風に思えたのも皆様のおかげです。
本当にありがとうございます~о(ж>▽<)y ☆
そして、これからもよろしくお願いしますね!!
誕生花の花言葉のサイトを教えてくださった葉乃葉さん (moppuさん に紹介していただいた署名活動の協力記事 のコメント欄で出逢いました。)、ありがとうございました。