今日は「お庭にギフトが届いています」ということだったんですが、無視!しました。
やはりピグ充でなくリア充を目指す者として、たまにはピグ界に入らないことも大切でしょう。
とまあ、こんな元気な感じで書き始めていますが、リアルではかなり参っていまして、支援センターに連絡をとってみるも、面談希望の方がとても多くて支援員さんが大変そうです。第一どうして日曜の朝に連絡をとってもセンターにおられるのか!それはろくにお休みもとらずに仕事をしておられるということ。業務量が多すぎるんですね。
そんな中でもなんとか僕のために時間をとろうとして下さる。
お仕事とはいえ、ここ数年はいい人と出会っているという気がします。たとえば母親の通うデイサービスの男の子。男の子といっても自分より年下だというだけでその施設の責任者としての立場をもっておいでの方ですが、春に父母ともがインフルエンザにやられて施設で支援会議をもってもらった時、いつも母親が施設内でどんな風に過ごしているか、自分たちがやれる部分は考えてやっているけれども他に何かないかなど、隣に座りながら話しかけてこられる。
「利用者の家族だからそうするのが仕事」と思うのが定番かもしれないけれど、僕は人を見る目が割とあると、自分では思っているんです(まさかの!)。「人を見る目がないから今まで失敗ばっかりで、対人関係もうまくいかずにひっきーしとるんだろうが!」と突っ込まれたら返す言葉がないですが、子供の頃からなんとなく、人がうわべだけかどうかを察知する(してしまう)部分はあったような気がします。
あの時のデイサービス男性職員さんの言葉は本物でした。母親のために何かしたいと思っているけれどももう一段やれるとしたら何か?を探っているという思いがよく伝わってきました。なので今は施設に対して十分な信頼をもって母を送り出しています。
・・・いや、その時間起きてないことが多いんで母親が勝手に戸を開けて待っているのを迎えに来て下さるんですけどね。自分は送り出しに関与していないという。でも、そうして母が外出している間に部屋を掃除したり布団を干したりなんかはしています。
5月頃からお医者さんに新たにコルセットを作ってもらって以来、本人がそれまでしたくてもできなかった輪投げに参加させてもらっているようで、うまく商品がとれるよう毎回配慮して下さっている。そのことが僕からしたら「見え見え」なんですが、母親はデイから帰ってくるともらった商品(メモ帳とかペンとか廉価だけど実用的なもの)を僕に見せては、「今日は一番がとれた」などと話してきます。
話し変わって僕は去年、特定健診で「肥満」の認定を受けて、時間もあることだし、たまに外に出るきっかけぐらいにはなるだろうと思って肥満解消の指導を受けることにしました。
それで最初の保健師さん(栄養士さん?看護師さん?)との面談の際に「障害特性で集団の中では聞き取りに集中しづらいし、そういう場が苦手」ということを伝えておいたら、広い部屋に机が置いてあるのをパーテションで区切って個人面談というかたちで話してもらうことができました。
そうやって配慮してもらえると、なんだかこちらもそれに報わないとという気持ちも働いてきて、かんじんの運動の方の目標はほぼ達成できなかったけれど、食べる方では言われたことを思い出して守れるときには!守るようにしていました。
昨日、最終の面談があって体重をはかってもらったら2キロ余り減っていて、指数的にも肥満の領域を下回ったということがわかりました。目標は1キロ減というかなり控えめなものだったので他の方だったらもっと成果があるのだろうとは思いつつ、これは人類にとっては関係ありませんが僕にとっては大きな一歩となりました。
何より昨日は、「集団面接になる」と聞いていたんです。でも行ってみたら、おそらく時間をずらして頂いたのだと思うのですが、やはり最初の面談と同じような一対一の環境が用意されていました。
お話をする中で僕が「筋力をつけていきたいです」と言うと、「両膝を床につけながらのゆっくり腕立て伏せ」とか、「両手を前に出しておいてのゆっくりヒンズースクワット」だとか、あるいは「片手を何かで支えながら片方ずつ、膝が直角になるまで交互に足をゆっくりと上げる」といった運動を教えてもらいました。どれも息を詰めずにゆっくりとやる。「◯イザップ」並みの運動はとても無理ですが、それなら出来るなという感じの運動。
帰りは靴を履き終わるまでずっと付き添って、最後に「気負わずにやってくださいね」と声をかけてもらいました。
この方も、「いい人と出会えた」と思うお一人になっています。
日曜日はなんかしんどくて、昼間も横になっている時間が多かったものの、起きている合間に教わった動きを一通りしてみました。これをやっていけば、もしかするとここ数年来悩まされている「寝しなのムズムズ足」も若干マシになっていくかも知れません。
唐突ですけど、はっきり言ってこの先、僕の人生はかなり厳しいなと思います。この年で仕事も本当に少ししかできない。両親の介護や医療については付き添って話を聞いたり、いつもきっちりとではないにしても家事をしたりはしているけれど、貯めといたお金は減っていく一方だし、近所づきあいもできていないし、先行きを考えるとこの街で孤立して困窮者となる生活が待っているんだろうと想像する。友達も、本当に困った時具体的に助けてくれるだろうと思える人はひとりくらい?
ただ、直近の仕事も数年間で行き詰まり、親に介護が必要になり、自分の体調も落ちてきてもうだめだと思った時にそうしていい方達と出会えてきているのは自分には本当に助けになっています。この間は父親が検査の予約をとるために検査室にいっしょに手続きを待っていたら、母親と自分を担当して下さっている先生が通りかかってわざわざ近寄ってきて下さり、笑顔で挨拶して下さった。ああいうの、とても沁みます。
朝からずーっと雨です。夕方からは特に激しくなりました。こんなに長く雨雲に居座られるのも珍しい。だいたい20年ぐらい前までは(期間がアバウトですが。)7月の台風なんてまだはるか南の方へ進路をとっていました。台風は夏の終わりから秋にかけてやってくるものだと、子供の頃から思っていた。それが近頃の台風はこれから夏本番へという時にやってくる。なんか変だな。
今日のピグ充はこれ。

ここがどこかというと、あの!ともさかりえさんのお部屋です。一応「ピグ友」だったか、申請をしておいたんですが、おそらくともさかさんもスタッフさんもピグにまでは関わっておられないでしょう。部屋に他に訪問した人が置いていったらしいプレゼントがたくさんありました。自分も何か・・・と「プレゼント」ボタンを押してみたら一番安いものも買えなかった。このあたり、現実とほぼ変わらない。ビンボーです。
僕が彼女を知ったのは一番最初にドラマ化された「金田一少年の事件簿」で。堂本くんとのやりとりが当時おもしろくて、番組自体もおもしろかったしかかる曲も好きだったしで、とにかく気になる人になった。
決定的だったのは2003年の夏に日テレで土曜の夜に放送された「すいか」というドラマで、「エロ漫画家」の役として小林聡美らと共演した時。ドラマの世界観がとても気に入ったし、彼女の演技も取り巻く人たちのそれもよかった。
「すいか」の公式サイトはまだあるんです。
http://www.ntv.co.jp/suika/
壁紙なんかもまだとれる。当時、あんまり視聴率がとれなかったらしく、スタッフさんもそれを認めていました。でも自分的には大変いいドラマでした。今はオンデマンドでも観れるみたい。まったりのんびり系が好きな方にはとてもお勧めのドラマです。今はこういうのがあんまりないから。
一応アフェリエイトも貼っときます。DVD-BOXです。
すいか DVD-BOX (4枚組)/小林聡美,ともさかりえ,市川実日子

¥18,576
Amazon.co.jp
低気圧って、人の身体や、ひいてはこころも左右するのは事実なんでしょうか。僕はこれまであんまりそれが確かだとからだで実感したことはありません。ふつうに雨でうっとうしく思う時もあるし、逆にほっとする時もある。
でも今日はなんだか疲れてうつうつとする日でした。起きてはテレビの台風情報を見てしばらくすると寝る。そういうのを午前も午後もやりました。いらいらもありました。このいらいらは「再燃」っていうのかな、発達障害者によくある「むかし嫌な目にあって不快だったことがなかなか忘れられない。ありありと蘇ってはその時の感情をまた味わう」というやっかいなものです。いわゆるフラッシュバック的なものでしょうか。
僕がお世話になっている支援員さんに以前お聞きした話。
「(記憶の仕方について)ふつうだと(実際にメモ紙を重ねながら)こうして過去の上に次々に新しいことが上乗せされていくんだけれど、発達障害の方の記憶の仕方は起こった出来事をずらっと本棚に並べていくようになっている。」ようなタイプが多いらしいのです。
でも僕の場合はだから人よりも記憶が優れているわけでもないし、まして「良かったこと」はするっとまるっと取り出せなくて「良くなかったと感じたこと」が取り出しやすくなっているのが困ったものです。
ともかく、棚に本をそろえておけば読み終えた巻も後からするっと取り出しやすくなるのと同じような記憶の仕方になっているんだと。だから条件がそろえば過去の嫌な記憶の「一巻」に手を伸ばしてしまう。「再燃」しやすい。これを修正していくには紙に自分の生きてきたラインを引いて、「あの出来事があったのはこの時!」という風に目の前で具体的に年表風に記していくといいとお聞きしました。(でもそれをいまだに実践していません。)
僕はまだ自分の障害がわからなかった頃、以前の主治医から「人間、どうして生きているかというと「生きててよかった」と思えることがあるからなんです。あなたにもそういう時があったはずです。どうですか?」と聞かれて困った記憶があります。だって何も思いつかなかった。嫌な記憶なら浮かんでくるけれど「生きていて良かった」と思うような記憶がするっと、まるっと!出てこない。
これには唖然としました。
もうひとつ、同じく先生から言われた言葉に「生まれつき「うつ」なんて人はいないでしょう」という言葉がありました。僕が「小さな頃からかなしかった。今も同じようにかなしいときがよくある」と繰り返し話していたからだと思うんですが。
確かに「生まれつき「うつ」」の人はいないでしょう。でも物心ついて少し人の中に入っていった段階から、僕はとてつもなく「かなしい」と思う時が多くなりました。それが大人になってもその頃とまったく同じようにかなしく感じる時がよくあるので、そう先生に話すんですが、先生からは、
「今の状況をかなしいと感じていてそれを過去に照らしてみているからでしょう」というようなお話だった。それは半分当たっているのかも知れないけれど、
今から思えば生まれつきの障害があったからその二次的な不具合として、不意に過去の記憶の再燃が起こってかなしかったり、人の中に日々いてうまくいかない自分というものがかなしかったりしていた。それも幼い頃から。
だとすると幼い頃おぼえていたかなしさと今のそれが同じようなのものとして感じられる、と話していたあの頃の自分のことがよく理解できます。「うつ」ではないが生まれつきのものはあった。
僕は20代で最初に精神科にかかったとき、「自分にはいつも悲しさがつきまとう。これさえなければだいぶ動きやすくなると思うんですが」と話していたのを覚えています。すると先生は他のうつの傾向のある患者さんのお話をされた。その方は絵を描くのがとても上手だったけれど、病院に通ってうつの傾向が改善されていくのに比例して思うように絵が描けなくなったというお話でした。
僕のかなしさの種類はその方のものとは違っていたのかも知れません。だいたい絵をうまいなんて言われたこともないし。図画工作、技術家庭、とにかく手先をつかうことは苦手でした。それはともかく「悲しさ」は本当につらいものでした、これまで。
一方で「哀しさ」というものもあります。幼い頃から本を読むのが好きでした。学校から帰ると辞典なんかを変な格好で眺めていたし、教室に置いてある本はひととおり読んでいた。なごめる場所は図書室でした。それは途中で挫折した大学に至るまで。一人になれる場所。ひとりの世界に浸れる時間。
で、本を読んだ後、すごく愛おしい(いと惜しい)感情があふれてくる。なんだか読み終わってしまったことが惜しくてたまらない。なのでよく最後のページからまた逆戻りしてページを繰る仕草をしていました。それは「哀しさ」とも呼んでいいような感情でした。恐らく先の先生が話された絵が上手だった方にも同じような「哀しさ」があったんじゃないかな。
おなじかなしさでも、これまで僕の正常な部分を支えてくれたのはこの「哀しさ」の方だったような気がします。
今日のピグ充はこれ。

ここがどこかというと、あの!ともさかりえさんのお部屋です。一応「ピグ友」だったか、申請をしておいたんですが、おそらくともさかさんもスタッフさんもピグにまでは関わっておられないでしょう。部屋に他に訪問した人が置いていったらしいプレゼントがたくさんありました。自分も何か・・・と「プレゼント」ボタンを押してみたら一番安いものも買えなかった。このあたり、現実とほぼ変わらない。ビンボーです。
僕が彼女を知ったのは一番最初にドラマ化された「金田一少年の事件簿」で。堂本くんとのやりとりが当時おもしろくて、番組自体もおもしろかったしかかる曲も好きだったしで、とにかく気になる人になった。
決定的だったのは2003年の夏に日テレで土曜の夜に放送された「すいか」というドラマで、「エロ漫画家」の役として小林聡美らと共演した時。ドラマの世界観がとても気に入ったし、彼女の演技も取り巻く人たちのそれもよかった。
「すいか」の公式サイトはまだあるんです。
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壁紙なんかもまだとれる。当時、あんまり視聴率がとれなかったらしく、スタッフさんもそれを認めていました。でも自分的には大変いいドラマでした。今はオンデマンドでも観れるみたい。まったりのんびり系が好きな方にはとてもお勧めのドラマです。今はこういうのがあんまりないから。
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でも今日はなんだか疲れてうつうつとする日でした。起きてはテレビの台風情報を見てしばらくすると寝る。そういうのを午前も午後もやりました。いらいらもありました。このいらいらは「再燃」っていうのかな、発達障害者によくある「むかし嫌な目にあって不快だったことがなかなか忘れられない。ありありと蘇ってはその時の感情をまた味わう」というやっかいなものです。いわゆるフラッシュバック的なものでしょうか。
僕がお世話になっている支援員さんに以前お聞きした話。
「(記憶の仕方について)ふつうだと(実際にメモ紙を重ねながら)こうして過去の上に次々に新しいことが上乗せされていくんだけれど、発達障害の方の記憶の仕方は起こった出来事をずらっと本棚に並べていくようになっている。」ようなタイプが多いらしいのです。
でも僕の場合はだから人よりも記憶が優れているわけでもないし、まして「良かったこと」はするっとまるっと取り出せなくて「良くなかったと感じたこと」が取り出しやすくなっているのが困ったものです。
ともかく、棚に本をそろえておけば読み終えた巻も後からするっと取り出しやすくなるのと同じような記憶の仕方になっているんだと。だから条件がそろえば過去の嫌な記憶の「一巻」に手を伸ばしてしまう。「再燃」しやすい。これを修正していくには紙に自分の生きてきたラインを引いて、「あの出来事があったのはこの時!」という風に目の前で具体的に年表風に記していくといいとお聞きしました。(でもそれをいまだに実践していません。)
僕はまだ自分の障害がわからなかった頃、以前の主治医から「人間、どうして生きているかというと「生きててよかった」と思えることがあるからなんです。あなたにもそういう時があったはずです。どうですか?」と聞かれて困った記憶があります。だって何も思いつかなかった。嫌な記憶なら浮かんでくるけれど「生きていて良かった」と思うような記憶がするっと、まるっと!出てこない。
これには唖然としました。
もうひとつ、同じく先生から言われた言葉に「生まれつき「うつ」なんて人はいないでしょう」という言葉がありました。僕が「小さな頃からかなしかった。今も同じようにかなしいときがよくある」と繰り返し話していたからだと思うんですが。
確かに「生まれつき「うつ」」の人はいないでしょう。でも物心ついて少し人の中に入っていった段階から、僕はとてつもなく「かなしい」と思う時が多くなりました。それが大人になってもその頃とまったく同じようにかなしく感じる時がよくあるので、そう先生に話すんですが、先生からは、
「今の状況をかなしいと感じていてそれを過去に照らしてみているからでしょう」というようなお話だった。それは半分当たっているのかも知れないけれど、
今から思えば生まれつきの障害があったからその二次的な不具合として、不意に過去の記憶の再燃が起こってかなしかったり、人の中に日々いてうまくいかない自分というものがかなしかったりしていた。それも幼い頃から。
だとすると幼い頃おぼえていたかなしさと今のそれが同じようなのものとして感じられる、と話していたあの頃の自分のことがよく理解できます。「うつ」ではないが生まれつきのものはあった。
僕は20代で最初に精神科にかかったとき、「自分にはいつも悲しさがつきまとう。これさえなければだいぶ動きやすくなると思うんですが」と話していたのを覚えています。すると先生は他のうつの傾向のある患者さんのお話をされた。その方は絵を描くのがとても上手だったけれど、病院に通ってうつの傾向が改善されていくのに比例して思うように絵が描けなくなったというお話でした。
僕のかなしさの種類はその方のものとは違っていたのかも知れません。だいたい絵をうまいなんて言われたこともないし。図画工作、技術家庭、とにかく手先をつかうことは苦手でした。それはともかく「悲しさ」は本当につらいものでした、これまで。
一方で「哀しさ」というものもあります。幼い頃から本を読むのが好きでした。学校から帰ると辞典なんかを変な格好で眺めていたし、教室に置いてある本はひととおり読んでいた。なごめる場所は図書室でした。それは途中で挫折した大学に至るまで。一人になれる場所。ひとりの世界に浸れる時間。
で、本を読んだ後、すごく愛おしい(いと惜しい)感情があふれてくる。なんだか読み終わってしまったことが惜しくてたまらない。なのでよく最後のページからまた逆戻りしてページを繰る仕草をしていました。それは「哀しさ」とも呼んでいいような感情でした。恐らく先の先生が話された絵が上手だった方にも同じような「哀しさ」があったんじゃないかな。
おなじかなしさでも、これまで僕の正常な部分を支えてくれたのはこの「哀しさ」の方だったような気がします。

今日は金魚が釣れるというお知らせがあったので行ってみたら釣れました。それで、「これで部屋に金魚鉢でも置けるのかな」と期待して帰ってきたら特に何もないんですね。うーん、何か部屋で飼いたいのだが。ピグのフラッシュは良くできているので、いずれ犬や猫が飼える日も来るのかもしれません。
ところで何を書いていたのかな。そう、どうして「大人の」と発達障害の前にわざわざ付けるのか?ということでした。途中でフラバ起こしそうだったので止めたんだ。もう今日は短めにやっつけてしまおうと思います。
要するに発達障害(自閉症もその概念に含まれる)の特徴として三つ組の障害というのがあるんですね。「社会性、コミュニケーション、想像力の3つ組の障害」(詳しくはググってみて下さい)。これらが重複してくるとどういうことになるかというと、前の記事で書いた、自分にもあてはまる「対人関係がうまくできない」ということが起こってきます。
でもその程度もさまざま、障害の個性(?)もさまざまで、本当に最初から明らかに周囲から見ても困った個性として敬遠される場合もあれば、なんとか周囲になじもうと努力するので周りも「この人は少しおとなしいけれど付き合うのに害はなさそうだな」と、最初のうちは!思ってくれるようなタイプも出てきます。ぼくは後者でした。
最初から周りが奇異に感じる人の場合は、当人は案外楽な場合が多いようです。というのも最初から周囲になじもうなんて努力をしないで済むので。そのままの自分でいいんだと自己肯定できていることが多いようです。
でも「俺は変だと見られたくないからなるべく周りになじんで失敗もしないでいきたい」という、後者の場合は、自分が不得意なところも「自分がわるいんだ」と思ってなんとかしようと努力してしまうので苦しくなります。「自分ならこうしたい、こう言いたい」と思ってもそれらを抑えてしまうのでストレスが続きます。
でも、ああ、なんということでしょう!なんぼそうして努力しても周囲になじむどころか幾度も対人関係で失敗を繰り返す人生になります。周りからは「大人しすぎる」と評価され、自分は先の三つ組の障害があるが故にふつうではしないだろう失敗をよくしてしまう。するとそれは対人関係でも自分自身のことについてもマイナスにばかり働いていきます。
周囲になじめないのになじもうとすると、周囲の人間はその人間を疎んじがちになります。ひどい場合はいじめを受けたりする。子供どうしのことなら、僕が小学校から中学校にかけてのいじめはまだ今ほど壮絶な例も少ない時代でした。ただ、もうそうなると萎縮しているしかないので学校生活は苦しくなる。
いじめは子供だけがするんじゃないんですね。大人、学校であれば先生もそれに加わってきます。きやがります。「なんでもっとクラスのことをしないの?」「なんでこんな問題も解けないの?(といって長い間居残らせる。僕は算数や音楽、体育、図画工作が平均よりかなり下でした。)」「弟さんはおもしろいのにあなたは大人しいね」
ほっとけ!・・・あ、ついつい言葉があらんでしまいました。
そういうことが日々積み重なっても、「なんで自分はこうなんだろう?????」って思うだけで答えが出てきません。そりゃそうですわな。当時は自分に障害があるなんて思ってもいないし親も先生も友達もそんな風には考えてもいないのだから。そして自己肯定感がどんどん低下していきます。
前の記事で深夜勤のバイトをしていた頃にはもうすっかり燃え尽きていました。はっきりと言われてましたもんね、「燃え尽き兄ちゃん」と。それで先の記事の続きになるんですが、精神科へとつながっていきます。
ところが大病院の精神科というところは神経症でも重い症状であったり、今の言葉で言えば統合失調症にかかった方やうつの重い方なんかを対象にしてきた先生が多いわけです。特にまだ20年前の精神科の環境なんてそれが当たり前でした。その時ついた病名は「対人過緊張、抑うつ」といった程度のものでした。
そこから治療が始まるのですが、精神科の治療って特別な機器を使って検査するわけでもなく、単に先生と話をしてお薬もらって経過をみる。その繰り返しです。あとは保健所なんかと連携して仕事の場を提供してもらえる作業所や一般事業所へ通って社会経験を経ていくうちに、僕程度の症状は収まっていくだろうと先生は考えておられたそうです。実際、そういう方が多いのだそうで。
でも僕の場合は違いました。作業所はともかく、一般事業所へ行くとなんとか数年間通うのですが、やめちゃう。そこは子供の頃からの感覚と変わらない。日々が緊張と我慢の連続。仕事内容もそうだし、やっぱり対人関係でまずいことが起こってくるんですね。するとそれが気持ち悪くて、ずっと心に残って耐えられなくなる。やがて遅刻が増えて周りの不興も買う。で、やめちゃう。
そんなことを繰り返してきて、精神科に20年かかってようやく「ん?ひょっとしてあなた、発達障害かも?」ってことになり、決められたテストを受けてみたら果たしてそうだとわかる。
「これまであなたに間違った方向を示していたかもしれない。すいませんでした。」
先生は謝って下さる。
けれど発達障害を正確に診断できる人はまだまだ少ないんです。だから当時の主治医にしてみたらそのことは仕方がなかったんだと今でも思います。いや、でも、心理の先生なんかもいたから通院していた長い期間の間に、一度でも合同でケース会議みたいなものをしてもらって「その可能性があるのでは?」と疑問を抱いてもらうことがもしあったとしたらずいぶん人生の方向も変わっていたかもと思うことはありますが。
ともかく僕は自分で本を読んだことがきっかけで「そうじゃないかな?」と思い始めて、自分からそれを切り出したんです。で、なんだったっけ?そうそう、そうして同じ発達障害でも子供の頃からそれと認められる方もいれば、特にここ何年かの間に、大人になってからその診断を受けるという人がとても多くなってきました。見過ごされてきた障害。
本来、障害は生まれつき明らかなものか、幼少期の早い時期にわかるか、事故や病気で途中障害をおうか、それと似ていますが精神障害のように途中で発病してそこから障害認定を受けるというのがこれまでの「普通」でした。でもその普通では見過ごされてしまう障害があるとわかった。そこで、わざわざ「大人になってから生来あった障害が判明した人」という意味で、発達障害の前に「大人の」と付けるわけです。
あれ、これ、説明になってるのかな。
ただし今のところ障害者手帳の分類は三種類しかありません。身体、知的、精神の三つ。大人になってからわかった発達障害者については、もし手帳を取得しようとするなら精神のそれをもらうしかない。実際、申請に必要な診断書の項目に発達障害が含まれています。
これはどうなんだろう?と最近疑問に感じています。だいたい「障害」っていうのは、狭い意味では体の不具合や知能の伸びの不具合、精神的症状のことを言うので手帳もそのように分かれているんでしょうけど、ここにまた「知能の伸びの不具合はないけれど発達障害である」として「発達障害者手帳」を加えるのもいいのかも知れない。
でもそうやって果てしなく?障害種別を分けていく作業をしていくよりは、障害というのは社会的障害のこと(個々の不具合があるが故に社会参加が難しい)として、一律「障害者手帳」としてまとめちゃえばいいんじゃないかと思うんですけどね。何かそれで不具合あるかな。僕はないと思うんですけど。
今日は久々に釣りに行きました。はじめ釣り方もわからなかったけれど少ししたら思い出して何匹か釣りましたが、相変わらず部屋の水槽で泳いでくれるような魚には出会わないですね。やっぱ、金、が要るんですかね。

だいたい、なんでカニを竿で釣るんだ!網でとるんじゃないのか。ま、ゲームだしそこはよしとします。
タイトルのことですけど、子供の頃からわかる発達障害というものがまずあります。
たとえば知的障害をあわせもった自閉症の方。学習障害をもつ方もそうですね。生まれて早くからか、少なくとも学齢期には「この子には発達障害がありますね。」となる。その頃なら、いや今でも「自閉症」というのかな。そうなると養護学校へ通ったり、通常の小学校でも支援体制のあるクラスに入ったりする。僕の頃もありました、そういうクラスが。でも交流がないのでどんな子がそこにいるのかわからなかった。誰も関心ももたなかった。
けれど通常の小学校、中学校生活をしていて、成績も学習障害があるというほどわるくもなく、ただ対人関係が結びにくいので学校の集団生活になじみにくいという人はいた。僕はそうでした。小学校の中学年頃から学校、集団の中にいるのがどうにも気色悪かった。毎日が緊張の連続。
でも決まったカリキュラムに参加さえできていればなんとか時間は過ぎていく。その過ぎていく時間がとても過酷に思えたもんですけど、とにかくやり過ごしていくことはできます。ただ大学や社会に出る段階になると今度は対人関係を結ぶことが、ある意味成績よりも大切になってきます。いろんな情報は人から入ってくるもんだし、仕事ともなれば人と連携することが必ず必要になってくる。そこで大きくつまずくんです、つまずいたんです僕は。
そして小さな頃から受けてきた精神的ダメージが思春期になると具体的に体にあらわれたり「抑うつ」傾向として定着してくる。これらのことをまとめていくと、結局決められたレールを外れなければからだも心も保たないということになってきて、自分の場合はそれが「ひきこもり」生活になったわけですが。
周りからみたらそれは「根性なし」に見えたりする。僕も親から急かされましたね。早く社会に出て仕事せいと。当時(数十年前のお話)必死で深夜のアルバイトに出たらあんまり「つきあい」的なことがなくて決まった作業をしていればよかったので割と続けられたんですけど、やっぱり人からは「あいつは暗い」とか陰口叩かれたり仕事上で嫌がらせを受けたりした。親の世代みたいなおっちゃんもいたんですが、その人からは「来年もこんなところでアルバイトしていたら怒るからな」なんて言われたりした。なんであんたに怒られなあかんのだ、ほっといて!と今なら思う。でもその時はただ下を向くしかなかった。
で、それも続かなくなって家で暴れて保健所に相談に行って大病院の精神科にかかることになります。ああ、ここまで書いたら疲れてきた。フラッシュバック起こしそうなので今日はここらでやめときます。さいなら。

だいたい、なんでカニを竿で釣るんだ!網でとるんじゃないのか。ま、ゲームだしそこはよしとします。
タイトルのことですけど、子供の頃からわかる発達障害というものがまずあります。
たとえば知的障害をあわせもった自閉症の方。学習障害をもつ方もそうですね。生まれて早くからか、少なくとも学齢期には「この子には発達障害がありますね。」となる。その頃なら、いや今でも「自閉症」というのかな。そうなると養護学校へ通ったり、通常の小学校でも支援体制のあるクラスに入ったりする。僕の頃もありました、そういうクラスが。でも交流がないのでどんな子がそこにいるのかわからなかった。誰も関心ももたなかった。
けれど通常の小学校、中学校生活をしていて、成績も学習障害があるというほどわるくもなく、ただ対人関係が結びにくいので学校の集団生活になじみにくいという人はいた。僕はそうでした。小学校の中学年頃から学校、集団の中にいるのがどうにも気色悪かった。毎日が緊張の連続。
でも決まったカリキュラムに参加さえできていればなんとか時間は過ぎていく。その過ぎていく時間がとても過酷に思えたもんですけど、とにかくやり過ごしていくことはできます。ただ大学や社会に出る段階になると今度は対人関係を結ぶことが、ある意味成績よりも大切になってきます。いろんな情報は人から入ってくるもんだし、仕事ともなれば人と連携することが必ず必要になってくる。そこで大きくつまずくんです、つまずいたんです僕は。
そして小さな頃から受けてきた精神的ダメージが思春期になると具体的に体にあらわれたり「抑うつ」傾向として定着してくる。これらのことをまとめていくと、結局決められたレールを外れなければからだも心も保たないということになってきて、自分の場合はそれが「ひきこもり」生活になったわけですが。
周りからみたらそれは「根性なし」に見えたりする。僕も親から急かされましたね。早く社会に出て仕事せいと。当時(数十年前のお話)必死で深夜のアルバイトに出たらあんまり「つきあい」的なことがなくて決まった作業をしていればよかったので割と続けられたんですけど、やっぱり人からは「あいつは暗い」とか陰口叩かれたり仕事上で嫌がらせを受けたりした。親の世代みたいなおっちゃんもいたんですが、その人からは「来年もこんなところでアルバイトしていたら怒るからな」なんて言われたりした。なんであんたに怒られなあかんのだ、ほっといて!と今なら思う。でもその時はただ下を向くしかなかった。
で、それも続かなくなって家で暴れて保健所に相談に行って大病院の精神科にかかることになります。ああ、ここまで書いたら疲れてきた。フラッシュバック起こしそうなので今日はここらでやめときます。さいなら。
最近、ピグどころではなくなってもう完全に放置状態となっていました。久しぶりにカフェを開いてきました。最初、何をどうすればよかったのかよくわからなかったんですが、まあ、がんばりました。

メイドのあおいちゃんがよく動いてくれるので助かります。こんなに回転率の良いお店ならもっと人を雇って席を増やしても利益はあがりますね。自分にコーヒーや料理についての造詣があるならお店を開くことも夢にできるのにな。
ところで今、僕がメインのサイトとしているのは「またあるきだせる2.0」です。(なんかこれも一昔前のはやりですね、「2.0」。)なんで2.0なのか。なんでかなぁ?>俺。なんとなくかっこいいですしね。
で、そちらのサイトはピグとは関係なく、趣味でとる写真も入れながら思うことを書いています。そして2010年頃にわかった自分自身の発達障害のことも時々書いています。
このブログでも大人の発達障害のこともおいおい書いていきたいと思います。

メイドのあおいちゃんがよく動いてくれるので助かります。こんなに回転率の良いお店ならもっと人を雇って席を増やしても利益はあがりますね。自分にコーヒーや料理についての造詣があるならお店を開くことも夢にできるのにな。
ところで今、僕がメインのサイトとしているのは「またあるきだせる2.0」です。(なんかこれも一昔前のはやりですね、「2.0」。)なんで2.0なのか。なんでかなぁ?>俺。なんとなくかっこいいですしね。
で、そちらのサイトはピグとは関係なく、趣味でとる写真も入れながら思うことを書いています。そして2010年頃にわかった自分自身の発達障害のことも時々書いています。
このブログでも大人の発達障害のこともおいおい書いていきたいと思います。