実は珠城りょうのジョージがずっとしっくりきませんでした。
合わない役なのか(=配役の問題)、役作りに課題があるのか(=表現力の問題)、昨日くらいまでむずむずしていたのですが、今日スッキリしました。
結論から言えば、珠城りょうのジョージの役作りはかなり的確です。
なぜなら、私が「親の目線」でジョージを観ていたから。
私が親の目線になっていた理由は2つあります。
一つ目は、私が親の世代に近い年代になってきたという自分のプロフィールに依るもの。
(「最近の若者は」と言いそうな世代ということです)
二つ目は(こちらの方がより強い理由)ジョージの両親、ヴォルフガング@鳳月杏とロミー@海乃美月の役作り、表現力、2人の関係性構築力が極めて秀でており、共感を超えて目線が同化してしまったためです。
しっくりこなかったのは演出や役作りのせいではなく、私が子を見守る気持ちでジョージを観ていたからでした。
・可愛くないわけではない、いや、可愛いことは可愛いし大切な息子である
・ただ、しっかりして欲しい大人なのに何をフラついているのかよく分からない
・本当ならホテルを引き継ぎたいくらいのに、どうも頼りない
・たまに出してくる経営や事業のアイデアは突飛で正直息子とは言え採用しかねる
・お願いだからホテルの格式、伝統を守りつつ、しっかり事業を継承して欲しい
・なのにあんなトラブルや、今度はこんなトラブルまで、一体もう、どういうことなの!
ジョージとロミーは心境、立場に若干の違いがあるので「両親の気持ち」と一括りにするのは危険ですが、いつの時代も起こる
親世代から見た「イマドキの若者」
の構図がエードラー家にも完成してしまいました。
そして、私はこの構図の中で「親世代」の立場で作品全体を観ていたのです。
したがって、親世代≒ヴォルフガング&ロミーの視点で観ていた私が、ジョージに対して「しっくりこない」と感じたことは、ジョージの役作りが「しっくりきている」ことを証明しています。
最後、ジョージの夢、叶えたいことに耳を傾けた両親が、彼を受け入れた時にホッと心が安らいだのを思い出し、改めて観劇時の自分の視点を確認できました。
もちろん、ジョージ@珠城りょう、ヴォルフガング@鳳月杏、ロミー@海乃美月の3人だけでこの作品世界が完成した訳ではありません。
組全体のリアルで温かな役作り、柔らかな物語の流れ、登場人物の関係性の的確な変化などが私を自然な形で作品世界へ誘ってくれたのだと思います。
ただ、一周まわって今思うのは、
珠城りょう@ジョージ、愛おしい息子よ
(「ファントム」キャリエール かよ!)
ということ。
ヤキモキさせたけれど、君は君なりにホテルのこと、事業のこと、継ぐことを考えてくれていたんだな、と。
(まだ親目線)
様々な面で「良い塩梅」という言葉がピッタリの役作りだったと思います。
今後より一層の伸びしろがあるとするならば、リズミカルな楽曲での音程でしょうか。
若干不安な揺らぎが聴こえることがあり、そこがクリアになれば「雲ひとつない青空」のような青年ジョージになると思います。
月組東京公演「I AM FROM AUSTRIAー故郷は甘き調べー」公演レポート【総論・演出編】
夏は「冷やし中華、はじめました」
冬は「ヅカデミー賞、はじめました」
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