公園を歩いていたら、足元の芝生から何かが飛び立った。最初はハエかと思ったが、ハエにしては大きな虫だった。数メートル先に落ちたので、近づいてよく見ると、スズメバチが自分より一回り小さなアブを捕獲しているところだった。


 スズメバチはアブを抱きかかえながら、その体にキバを食い込ませてバリバリかじっていた。決定的瞬間に出くわしたと思って、携帯で写真を撮ろうと近づいたら、スズメバチが警戒してアブを放してしまった。そして半径1メートルほどの範囲を飛びながら、再びアブを捉える機会を伺いつつ、僕の存在を警戒しているようだった。


 スズメバチに刺されてはかなわないと思い、僕はその場から少し身を引いた。彼はしばらくアブの周辺を飛び回っていたが、やがてあきらめて飛び去ってしまった。悪いことをしたかなと思いながら、アブがどうなっているのか気になって近づいてみた。


 アブは、右半分の足をほとんど食いちぎられて、胴体から体液が漏れていた。芝生に埋もれてほとんど動かなかったが、拾った枯れ草でつついてみると、必死に羽ばたいてこの場から逃げようともがいた。


 よく見ると、アブのすぐ横には、アブよりずっと小さな、大き目のアリくらいのサイズの羽虫が転がっていた。こちらも半分食べかけられたような状態でもがいている。この状況から推理してみると、どうやらアブがこの羽虫を食べているところを、さらに大きなスズメバチに襲われたらしい。


 強いものが弱いものを食べ、さらに強いものがそれを食べる。まさに食物連鎖の生きたモデルが目の前にあった。しかしその連鎖を僕の余計な行動が断ち切ってしまった。羽虫と、アブと、スズメバチ。3匹の虫たちに少し負い目を感じた午後だった。


食べられたアブ

 名古屋駅タワーズのタワーズガーデンへ、薪能を観に行った。自由席が無料だったので、お金を払って生の能を観る機会は、おそらくこの先一生訪れないだろうと思って行ってみた。


 午後5時開場の6時開演だったので、5時少し前に現場に到着したが、自由席は既に半分以上塞がっていた。5時開場なのに?と思いつつも、簡単なプラスチックの鎖で仕切られた会場の入り口に向かうと、無料ではあるが一応チケットの半券をもらった。席に限りがあるので、自由席に関しては先着600名までなのだ。


 舞台の前に折りたたみ椅子が並べられたエリアは、前もって抽選か何かで整理券が当たった人のための指定席で、そちらも定員は600名。合計1200席が設けられているわけだ。自由席は、その後ろにある階段の一段おきに、細長いカーペットが貼り付けられただけものである。そこへ腰掛けろということだろう。無料だから文句は言えない。


 ちょうど夕飯時なので、弁当を持ち込んで食べている人がたくさんいた。トイレに行くために会場の仕切りを跨いで出ようとする人がいたが、スタッフに注意されていた。それでも仕切りを跨ぐ人は後を絶たず、スタッフのおばさんもだんだんムカついてきたのか、注意が厳しくしつこくなっていった。


 やがて開演の時間が来た。演目は、観世流・能「安宅(あたか)」、和泉流・狂言「因幡堂」、観世流・能「土蜘蛛」の3つ。能は、前もってあらすじを聞いておかなければ、どんな物語なのかほとんどわからなかったと思う。狂言は能に比べて台詞が聞き取りやすく、演技自体もわかりやすいものだった。


 能の舞台で流れる鼓と笛、そして地謡(バックコーラスみたいな人たち)が奏でる独特のメロディや節は、日本の言葉から生まれたものなのだな、という感じがした。節回しが、お経のリズムやメロディによく似ている。僕の実家は真宗で、法事ではお坊さんが「無量寿経」を延々と唱えるのだが、あの音に似ているのだ。


 舞台が始まると、会場の横の通路で立ち止まって観る人が出てきたが、通路で立ち止まると通行の邪魔になるからと、スタッフのおじさんが注意していた。しかし注意していたのはそのおじさんだけで、他のスタッフは見て見ぬフリ、というより舞台に集中してしまって、周りのことをよく見ていない様子だった。


 能は面白かったが、待ち時間を含めて3時間半も固い階段に腰掛けていたので、尻が痛くてたまらなかった。今年の名駅薪能は4回目ということなので、来年もやるかもしれないが、観に行く人は座布団を用意したほうがいいと思う。


舞台の様子。開演中は撮影禁止なので待ち時間に撮影。

名駅薪能

 ベランダの手すりに簾を掛けている。暑くなってきてから、その簾にアシナガバチが来るようになった。ベランダのほうからパチパチパチパチ音がすると思って見ると、アシナガバチが簾を齧っているのだ。多いときには一度に3匹ほどが来て、それぞれ懸命に齧っている。巣の材料にするためだろう。材料を持っていくのは構わないが、巣を作るのは別の建物にしてほしい。

 雨が降ったおかげで、ここ数日より過ごしやすかった夜が明けた。明け方は少し肌寒く感じるくらいの気温だった。網戸を開けて、顔だけ出して外を見回すと、左側のうなじに何かがパタリと当たった。柔らかいプラスチックか、ゴムのような触感。


 何か紐のようなものが落ちてきたのかと思い、首に手をやろうとした時、白っぽいものが床に落ちた。と同時に、それが素早く動いて隣の部屋の上敷きの下にもぐりこんだ。一瞬、トカゲかと思ったが、ヤモリだった。網戸によじ登って虫を狙っていたのだろう。


 驚いてドキドキしていたが、落ち着いて網戸を閉め、隣の部屋の網戸を開けて上敷きをめくった。こちらの意図がわかっているかのように、ヤモリは窓から外へ逃げていった。

 解釈するな。とにかく聞け。とにかく見ろ。そして感じるのだ。解釈したらそこで終わりだ。何も入ってこなくなる。何も入ってこなければ、何も聞いていないのと同じだ。何も見ていないのと同じだ。それは何も感じていないということだ。自分にしか通じない、ちっぽけな解釈にこだわっていたら、自分を超えることはできない。解釈などただの自己満足だ。何の理解でもない。