人生において大切なことは、毎日の積み重ね。そしてもっと大切なことは、決して積み重ねないことだ。積み重ねたものはいつか崩れ去る。積み重ねないものは崩れようがない。どちらかを選択しなければならないということではない。どちらも必要なのだから。

 本当に重要なもの、精錬されたものだけを積み重ねていく人は、積み重ねたものに執着しない。執着しないということは、積み重ねないということだ。

 継続は力になりうるが、継続を可能にするのは「初心」に与えられるエネルギーだ。慢心は積み重ねたものを腐らせ、継続の力を散らしてしまう。知っていると思っている人は、知っているだけの世界しか見ることができない。知らない人は、常に新しい世界を見ている。
 不思議な力、目に見えない力、神の見えざる手などはあてにしないことだ。あてにしないということは、そんなものはないと否定することではない。理屈で説明のできないものごと、目に見えない繋がり、不思議な働きは、人生においてが少なからず観察できる事実だ。しかしそれらをあてにし、その力を利用して結果を得ようとするのはエゴの企みである。エゴから生まれる活動は必然的に人を不幸にする。

 自分の手を煩わせることなく、簡単に、楽に何かを成し遂げられるような方法や、特効薬のようなものに頼ろうとすることを「怠惰」と言う。その目的が何であれ、自ら望んだ場所へ、自らの足で歩もうとしないのは、自分自身に責任を持たないということだ。

 もしもあなたが、自分が望む結果をもたらすための「見えない力」を行使する術を知らないのなら、あなたはその力を使える人ではないということだ。使える人は、すでにその使い方を知っている。知っている人と、知らないあなたの唯一の違いは、その力が自分自身であることを理解しているかどうかだ。

 そこであなたはこう思うだろう。どうすれば自分自身がその力であることを理解できるのかと。まさにその考えが、あなたの力を抑圧している。見えない力とは、あなた自身のことなのだ。しかしあなたは自分にそんな力はない、自分は力ではないと思っている。そう思っている間は、自分自身が力として働く必要がないからだ。

 あなたは力を行使する意志であり、同時に行使される力でもある。意志を持った見えない力。それがあなたの心なのだ。
 「心の病」というものについてよく思うのは、人の心はどこまでが正常で、どこからが異常なのか?ということだ。

 精神鑑定や診察などで、心の病を判定する精神科医は、どこまで「正常」なのか?心理学は本当に人の心を判定する基準となり得るのか?心を癒すという観点から見た場合、人の心を「判定」する必要が本当にあるのか?という疑問もある。

 人の心のある傾向に対して、うつ病であるとか、対人恐怖症であるとか、自閉症である、などのレッテルを貼ることが、一体なんの役に立つのか?ということだ。精神科医や心理学者は、論文や本を著すためにそのような分類を必要するのだろうが、実際に精神的苦痛にみまわれている人にとって、あなたは何々病だよと診断を下されることが、その人の心の治癒に何らかの効果をもたらすのだろうか?

 逆に、病気だと言われること、正常ではないと判定されることが、人の心に与える影響を考えると、心の問題を抱える人に対して何々病だという判定を押し付けることは、全くの逆効果になる面もあるのではないかと思う。

 心の問題を抱える人が、その問題を自覚することは必要だと思うが、問題を自覚することと、問題にレッテルを貼って自分を「患者」だと思ってしまうことは、全く別の話だ。レッテルを貼ることは、ある定義に自分を押し込めるだけで、自分が抱えている問題の本当の姿を覆い隠してしまうことにもなる。問題に名前をつけ、精神科医などの外的権威から与えられた定義に頼ると、その奥にある問題の核心を自分で見つける力が失われるのではないだろうか。

 うがった見方をすれば、精神科医や心理学者は、心の問題があるからこそ存在価値があるわけで、彼らにしてみれば、問題を解決するよりは、どれだけもっともらしい理論を構築できるかのほうが重要だということかもしれない。

 形のない心を、正常か異常かに分けようとすること自体が、歪んだ行為なのではないだろうか?。
よもぎ入のモチモチとした食感の生地で
つぶあんを包み、カメの形に焼き上げました。

品名:菓子パン
原材料名:つぶあん・でん粉・小麦粉・マーガリン・砂糖・卵・よもぎ・イースト・ケシの実・チョコ・もち粉・食塩・乳糖・植物油脂・脱脂粉乳・乳たん白・乳化剤・香料・光沢剤・(原材料の一部に大豆を含む)

 これもまた、メロンパンと同じくアニメの内容から味を期待してはいけない商品。まず見た目が違う。アニメでは、焼いたパンが茶色に焦げるため、外から見ても緑色のパンを作るのは不可能、と言われていたのを、「超低温長時間焼成」と「水あめ」を使って、水分を逃さず緑色に仕上げてしまうというものだったが、これはどう見ても普通に茶色のパン。確かによもぎを混ぜて生地は緑色だが、アニメで表現されていたコンセプトは失われている。


 ミドリ亀パンというくらいだから、確かに亀を象った作りではあるが、亀にしては扁平すぎる。ていうか、亀に見えない。亀と言われなければわからないのでは?表面には、白あんパンのようにケシの実が散りばめてある。ケシの実というとアヘンを思い出すが、食品として使われるケシの実は、本当は実ではなく種である。なのでアヘンとしての効力はない。あったら怖い。

 食べてみると、普通にあんパンである。よもぎの香りもしなくはない。しかしこれといって何か特徴があるわけでもない。所詮は大量生産の普及品といったところか。

ヤマザキ製パン 「ジャぱん58号 クッキーメロンパン」


パン生地とメロン皮(ビスケット生地)の間にクリームを
サンドしたメロンパンです。「メロンパン」の名前の
由来は、メレンゲ(卵白を泡立てたもの)がなまって
「メロン」になったという説や、
表皮がマスクメロンに似ているからなど、
いくつかの説があります。

品名:菓子パン
原材料名:小麦粉・砂糖・ミルククリーム・マーガリン・卵・ぶどう糖・脱脂粉乳・イースト・食塩・乳化剤・膨張剤・イーストフード・V.C・香料・クチナシ色素・酸化防止剤(V.C・V.E)・(原材料の一部に大豆を含む)

 まず最初に。パッケージの商品説明文にメロンパンの名前の由来など、ちょっとした薀蓄が書かれているのは、TVアニメ「焼きたて!ジャぱん」に倣ってのことだろうか。しかし一緒に食べた「ミドリ亀パン」のほうには何もなかった。

 そして、名前が「クッキー」メロンパンであるにも関わらず、商品説明でいきなり「ビスケット生地」と言い切っている。ビスケットはクッキーのイギリス呼び(?)らしいが、わざわざビスケットと表記したからには何か訳があるのだろうか?それとも、お菓子の世界ではビスケットとクッキーは区別されるものなのだろうか。と思っていたら丁寧に解説されているブログ記事を見つけたのでトラックバックさせて頂いた。アニメでは、クッキー生地にパンとクリームをはさんであるという内容だったが、これははさんであるのではなくて乗せてあるだけだった。


 そのビスケット生地の上には砂糖がまぶしてある。この砂糖はいらないと思った。ビスケット生地がもともとパサついた感じのものなので、パンはもっとしっとり柔らかいものを使うといいのではないか。全体にパサパサした感触である。さらにはさんであるクリームは、アニメではメロンジュースを入れたメロンクリームだったが、この商品はただの白いクリームだった。アニメの内容を見て、味に期待して購入する人はがっかりするかもしれない。