久々に屋久島に戻って来た。
その一番の理由は、先に出会ったデフファミリー(親御さんも子供も聴こえない家族の意)達に此の屋久島へ移住希望があるなら、その居場所を探しに助力したいと思ったからである。(勿論、私の旅のパートナーである自転車やテントも取りに行く事もあるのだが)
此処に着いた日の夜中は土砂降りの中を公園近くのベンチにてシュラフを被って過ごした。(真夜中からは雨が止み、事無きを得る)
警察の職質に土砂降りと、中々の歓迎だと思ったものだが、今思えば、私に気付きを与えてくれた慈雨だったのだろう。
此の夜更けに私は義妹と久々にメールを交わし、その過程で一つの事を脳裏に浮かべていた。
直感だが「もう屋久島でお世話になっていた方の所に留まる理由は無い」と。
そして、その決断は次なる爽やかな風を呼ぶ事になる。
私は奇縁により、新たな発見をする事になった。
JRホテル屋久島で働いておられる御仁の紹介で障がい者支援センターの様な所を訪問した訳だが、偶々そこに居られた短期滞在の方から、「私が滞在している宿の部屋に1室空きがありますよ」という情報を得る。
然(しか)も、1日ワンコイン(=500円)で泊まれるという。(比較的、長期滞在の方に合うシェアハウス)
私が屋久島を回ってみた中では、最も安い場である。
かの昔まではオーガニック宿として運営していたらしいが、現在は旅人の口コミだけで運営されている。
場所は山の中腹にあり、周囲は其れこそ自然そのものである。
その上、邸内は化学原料を用いた歯磨き粉、洗剤の使用は不可(現在の店に売っている物は基本的にNGとなる)、食も肉、卵、乳製品を引用して調理する事はNG(アレルギーの方も居る等から)という徹底ぶりである。(肉類を買って来て部屋で食べる分には問題無し)
薪割りの手伝いをした千葉のNPO法人にも似た様な観点で拘った料理をしているメンバーが居られたが、此処は宿全体、いや付近の住民も統一しているのだ。
自らの体内に取り入れる食の在り方、そして共に生きる自然への影響をも考慮した生活が此処にはある。
自然愛護に対する意識には千差万別有りだが、此処まで来れば「確かに自然と共存している」と言い切れよう。
私は兄者や義妹に話した通り、一つの惑いを抱いているが、長野の旅館へ手伝いに行く迄のひと時を過ごすには、誠に素晴らしい環境に来たと言える。
周囲の雑音もなく、灯りも昭和の戦争下にある日本を思わす様な電球のみ…
夜に外へ出掛ければ漆黒の闇が広がり、それでいて顔に当たる風には癒やしの温もりがある。
*野良犬も涼むか⁈
「あのM君も食には拘りがあると言っていただけに、彼が此処に来れば良き学びのひと時を過ごせただろうな」と、私は思ったものである。
この日、此処は一つの集いの場となった。
それは、偲ぶ会であったのだが、その故人は、今年初めに此の宿に来られ、年端もいかぬ子を持った女性なのだという。
巫女の様な特殊な能力を持って居られたが、癌を患い数日前に亡くなった事から、此処に住む方々や近くに居られる御仁にて、食を共にする事で弔いの意を込めた訳だ。
聞くところによると、普段は各々思い思いのタイミングで食を取っているというから、初めて訪れた私にとっては、奇しくも一堂に会(え)する機会に恵まれた事になる。
そして、その場に居られた近所の御仁は、かの昔は手話、及び英語の通訳をして居られた方であったのだ。
「探さずとも、必要な縁は向こうからやって来る」か…
結局、此の方が私に手話通訳をしてくださったり、手話とは一つの言語であり、私達日本人にとっては英語以上に大切だと思うといった御自分の持論を集まった方々へ語られたのだ。
此処に居られた方々は宿の主人を始め、寡黙ながらも気が利くイスラエル男性、登山ガイドを目指して学んでいるフランス女性、その他は日本人の総勢9名である。
食事の写真は撮りそびれたが、一皿のみで、香り豊か、且つ自然其の物の味を活かした三種類の菜食が並ぶ。
育ち盛りの者には明らかに足らないかも知れないが、自給自足的な生活においては充分なのだろう。(私は事前に弁当を購入して食べていたので、此の見解は信憑性に欠けるかも知れないが…)
何よりも素晴らしいのは、全ての素材が無農薬、且つ無駄な味付け(味の素やマヨネーズ等の加工品)が無い事であろうか。
此れらの料理を作ったのは日本女性達だが、創意工夫、そして暗めの食卓にはフキの葉を置き、その上にロウソクを灯している。
崇高な、いや神聖な雰囲気とでも言うのだろうか⁈
茶事の時にも蝋燭を灯して味わうが、それと似た侘びの世界が存在していたのだ。
差し詰め、両者の違いは神道と仏教、縄文時代風と戦国時代風、敢えて付け足すなら、古典的と現代的といったところか⁈
つまり、御茶の概念が顕著になる以前の「侘び」という雰囲気とは、正に此のことを指すのだろうと思ったのだ。
服も決して華美ではなく、質素、且つ機能的なものであり、この中では、焚き火の飛び火で穴だらけのアディダスのジャージを着た私の方が浮いている程である。
何にせよ、この出会いは私により一層の課題を与えられた様に思う。
「未だ真の自給自足的な生活が何たるかを知っていない」と…
その夜は布団の中で寝れる事に感謝し、夜を過ごした訳だが、次の日となった今日は、イスラエル人が宿を引き払う為の送別会が催される。
一人一品を作るとの事だが、色々な調味料で味付けをして来た私には、思いも付かない事から、代わりに御茶を点てる事を提案すると喜んで頂く事となる。
そして、此度の出会いは更なる縁を生む。
明日から、私は場を変えて安房の方にレストランを構える方の所へ移動し、手伝いをする事になったのだ。
その出会いは、此の宿に行くまでの道中にあったのだが、此処まで急転するとは私も思ってはいなかった。
既に此の宿で支払ったお金も御主人が返してくれるとの事で、私は此の風に流れる事にする。
ここで話は遡るが、文頭にて触れた屋久島に戻った理由の方は先方にて検討した結果、移動を諦めるというメールが来た事により流れる事になる。
私も目的を失った形にはなったが、其れも全てはシナリオ通りだと言うと、出来過ぎと言われようか⁈
では、「変える」事になった目的も「帰る」方へと方向転換するのか?と問われたら、何と答えようか?
さてさて、夕餉も近い事だし、明日の旅路に向けて、もう一服愉しむとしよう!そう、私が得意とする煙に巻くのさ。
○オマケ
*EM菌を使用した液体石けん。1.5L入りだが、一回の洗いにキャップ一杯で良いのだとか。どれだけの間、持つのだろう⁈
*上の石けんを売っている所。









