孤高の狼といふ者の旅日記

孤高の狼といふ者の旅日記

自身3度目のブログ。昔気質な性格故に、雲の流れの様に身を任せる事が中々できないのがもどかしくも、そんな己が心身の鍛錬と共に、思う事、起こった事を淡々と綴る。全てを捨てた漢の流離いの先にある心の美醜とは!?

レイ🐕と散歩する夕暮れ時。


お寺の境内に咲くピンク色の彼岸花が目に入り、「ようやく秋か!?」と感じたもの。


そんな日、女将が農作物を作ることを楽しんでおられる畑に設えた小屋も完成!


以降は雨が降り続ける日々だが、小屋の下に設えたビオトープにも程よく水が溜まってきた。


夏場の酷暑も当たり前になってきた昨今だからこそ、この空間が少しでも女将の農作業の助けになればと願う。



お盆前後から、先の薪置き場然り、この小屋作製と振動などの負担がかからない作業をした事で、いつしか右腕や左腕の痛みも無くなってきた。


雨が降れば、これまでに確保してきた廃材の釘抜き、整理、薪割りに従事可能。


そう思うと、己が身の状況に合わせてできる事が山のようにある現在の環境がありがたい。


解体によって出た物は、世では価値が無いゴミの扱い。


だが、このように価値あるものへと繋げることは頭を使うし、試行錯誤もでき、何よりも完成した後には「色々な思いが詰まったものへと活かせた」という感慨深いものがある。


そんなものだから、世の田舎にある昔の面影を残した家屋が雑草に覆われている姿を見ると、その都度、心が痛む


そして、そういう心境に染まる回数が多すぎたのだろうか?


昨日、久々に行った病院の診察で「肺気腫」と言われた。


女将によれば、今は亡き茶道の先生のご主人も、女将の亡きご主人の弟も肺気腫で亡くなられたという。


そして、何よりは四六時中、走っているかのような息切れ状態で苦しむのだと。


その上、もう私がヤバい状況だと思われたのか「貴方のこれまでの歩みについて(私は説明できないから)書き綴っておいてよ。私は口下手だから」と😅


コレには流石に自分も笑ってしまった。


もう、(自分は)死ぬ事になってるの?と。


「あなたは50歳まで生きれば十分と言ってたよね。私は60歳くらいまでは生きるかなと思ってたけど」とは、女将談。


思えば、サービスステージに突入して、早三年。


年々、身体のどこかからエネルギーが落ちているかの様な感覚に襲われている我が身。


よって、何かがあるかも!?とは自覚のうち。


そんな自分の今日までの歩みとは、普通の人からすると生き急いでいるように映るらしい。


その自分が肺気腫を患ったことで、結局、その日までも走り続けるような歩みになるのだろうか?


そんな苦難の日々なら、(咳が酷いと聞くので)側に人がいてはならぬ。


そういう状況なら、何処ぞの山奥の掘立て小屋で一人隠棲した方が良いのでは!?


…などと思う。


いずれにせよ、死という病は誰にも等しく訪れる。


当家最後の者として、物語を完結させる手段をソロソロ講じていかねばと思う。


そんな我が身のことを察してかは知らぬけども、最近よくお世話になっている華道の先生から「(私たちの終活の一環として)売りに出している土地の防草対策をお願い」と。


終活って何なのだ?と以前から思っていたが、結局のところ、次世代が面倒を見ない(見てくれない)昨今ならではの行動なのだろうと思う。


かの昔なら、一軒の家屋に三世代が一緒に過ごし、祖父母が亡くなれば、親世代が受け継ぎ、またその次の世代が受け継ぐという持続型社会だった。


そんな世界なら、終活などという言葉は必要ない。


その辺の社会の変遷には一抹の寂しさを覚えるが、この流れに抗ってもどうしようもない事は、この12年の田舎暮らしを経たことで分かってきた。


どうにもならない事には神経を使わず、さっさと受け入れるか、諦める。


今の自分の状況もそう。


なるべくしてなった結果なのだから、この中で出来るベストを尽くす。


つるべ落としのような秋の日。


その夕陽の世界観は、若かりし日々に見たそれと、今も変わらぬ。


人恋しくさせ、妙に物悲しき心持ちにもさせる


それも、生きているからこそ感じるもの。


感じる余裕もなくなる時…


そして、感じなくなる時…


自分の脳裏では何を感じ、何を思うのか?


そんな事を思ふ秋の夕暮れ。


*今年初の栗🌰に、最後までなっていたブルーベリー。贅沢ですねー!


*福井県でも浸水被害があった大雨の時。あと少しでヤバかった!


*オーストラリアからの宿泊客が購入したという。木の器にジッパーとは!面白いですね。