一昨日の悪文を猛省し反省文を書く | もっとサッカー本を読もう!

一昨日の悪文を猛省し反省文を書く

 


 一昨日、つまり日曜日に、私は、ものすごい悪文を書いてしまいました。
 

 アップロード後、読み返してみて、クビだの出ていけだの、とんでもないことを書いてしまいました。


 お読みになって気分を害された、すべての方にお詫びします。


 先週、こういう、文章を書くときには伝えた先のことまで考えて書かないといけないと自ら戒めながら、再び同じ過ちを繰り返してしまいました。

 そこで、今日は、先週日曜日のサッカー観戦したクラブを、インターネット上で初めて知った時に感じたことを、反省文にかえて、書いてみようと思います。
 

 

 


 私が、先週日曜日のサッカー観戦した、なでしこチャレンジリーグに加盟した、十文字ベントスというクラブを初めて知ったのは、今年一月のことでした。
 

 


 帰宅後、このことについてブログを書く時、インターネット検索をしてみました。


 その時は、じつは、このクラブの公式サイトまで、たどり着けませんでいた。
 

 その後さらに、何度かインターネット検索を試みて、ようやく、公式サイトにたどりつきました。


 そこの右上の「クラブ」という文字をクリックすると、今年のスローガンや、このクラブがどうして設立されたのか、何を目指すのか、などが、事細かに書かれております。


 詳細については、興味を持たれた方は、ご覧いただきたいのですが、私が、この時、強く印象に残ったのが、



世の中にたちてかいある存在


という言葉でした。


 最初、何を言っているのかわからず、ページ下部のリンクをクリックしてみたら、十文字学園の、建学の精神・教育理念のページが開きました。


 そこには、『自分自身の生きがいをもち、自分の力で世の中の役に立てる女性を育てたいと願う』意味があるのだそうです。そのもとは、学園歌の中の一節からきているそうです。


自分自身の生きがいを持つ、、、


 ここからは、サッカー本とは少し離れてしまうのですが、自分とサッカーとのつながり、自分とサッカーとのかかわり方についても関係してくることなので、進めていきます。


 ここからは、学園やクラブがどうこう言った、どこぞに書いてあった、という話ではなく、この「たちてかいある存在」について、私が感じたこと、考えたことについての話です。


 誤解を恐れずに言えば、私ごときが使うのは大変おこがましく、僭越の極みかもしれませんが、あえていわせていただくと、


如是我聞


といった感じでしょうか。


 学園関係者がああ言った、こう書いていた、ではなく、あくまで、私の勝手な解釈です。

 

 今年一月、いや二月かな、このホームページを初めて見たとき、ちょうど読んでいた本が、



 

 

 


でして、この時は、図書館から借りて三回読み返したのですが、あまりにも面白く、また、いろんな方面・分野で考えさせられることが多々あったので、




その後、ジュンク堂に走って、急いで買いに行って、また読みました。


 その後さらに、このブログを書く前に一度、最初から解説まで読みました。


 この時、この本の一節が、ふと頭に浮かんだのです。


~~~引用はじめ~~~

 光秀自身、その境遇を喜んではいたが、しかし決して楽しんではいなかったように見える。


 新九郎は思う。


 仕事が出来る能力と、それを絶え間なく受け入れることの出来る度量は、また別の問題なのだ……。


 この場合の度量とは、自ら選んだ道を楽しみながら生きる人的な器量、というほどの意味だ。


 たとえば新九郎は、誰に言われなくとも、つい剣を振って型を練習してしまう自分がいる。昨日より強くなりたい、という気持ちは五十半ばを過ぎた今でもあるが、それよりも、とにかく剣を振りたい。剣を振ること自体が愉悦だからだ。だからむろん、それに付随する道場での稽古や弟子たちの指導も、また楽しい。
~~~引用おわり~~~
 

 物語の内容や登場人物の説明は省略します。


 革命的な時代小説とか、まったく新しい歴史小説とか、ものすごい宣伝文句が書店やネットで氾濫していますが、全然誇張表現ではありません。これまでの通説的解釈とは違う斬新な見方といい、単なる事実の羅列ではなく各登場人物が生き生きと描かれ、さらにその成長過程なども鑑みる青春小説ともいえる、ドラマチックかつ重厚な小説です。


 これ以上は、この本自体の評論はやめますが、上記の一節は、じつは、今年の冬に十文字ベントスの公式サイトを見た時に、まっさきに思い浮かんだことなのです。


 じつは、その後、別の本も思い浮かびまして。


 

 

 

 

 

 

 

 『光秀の定理』の直後に読んだのが、三浦雄一郎の本で、その本の中で紹介されていた、三浦雄一郎のお父さんの本を、生まれて初めて古本をインターネットで探しまくって取り寄せた(すでに絶版で、その辺の本屋さんに置いてあるとは思えなかったので)のです。




 三浦雄一郎が、70過ぎてからエベレストに登るのもすごいですが、それ以上に驚いたのが、100歳になってもスキーしている三浦敬三。


 50代に国家公務員(いちおうキャリア)を早期退職して、それから(それまでもスキーはしていて、その世界ではすごかったらしいのだが)本格的にスキーの活動をして、それから世界のいろんなところを滑って、100歳近くになっても、こんな本を出すほど、日々鍛錬して、世界の名峰でスキーしている。


 三浦雄一郎も感心していますが、三浦敬三自身も著書の中で、語っていることがあります。


 同じ山でも、行くたびに雪質が違うと。
 生まれてから一度も、同じ雪質に出会ったことがないと。


 つまり、スキーをするたびに、新たな喜びがあるらしいのです。


 私は、どうなんだろう。


 上掲の三冊を読み終えた後、けっこう考え込んでしまいました。


 自分は、どうなんだろう。
 

 強くなりたいとかうまくなりたいというのもあるけど、
 強いチームや巧いプレイヤーを見てワクワクするけど、

 

それだけだろうか、と。


 例えば、私は、サッカー観戦に自転車で出かけますが、
会場まで行く過程も、また、楽しい。
 いろんな発見があります。
 子どものころは、日本が鎖国状態だったいうのもありますが、
強豪国に憧れたりレベルの高いサッカーが見たいという思いがありました。
 今でも、そういう部分もありますが、
じつは、それだけではなくて、
小学生だろうがW杯だろうが、
JリーグだろうがJFLだろうが、
男子だろうが女子だろうが、
11人制だろうが別のルール(障がい者とかフットサルとかいろんな)だろうが、いろんなサッカーを観るのが、ものすごく楽しい。

 

 そういう、自分が、心から楽しいと思えることに、素直に感動し、
また、それを励みに、日々の生活に勤しむ。


 そんなことを、今年二月ごろ、考えていました。
(まあ、映画の影響も少しありますが)

 

 


 一昨日は、酷い文章を長々と書いてしまいました。


 一番のダメ人間は、じつは、私だったんです。


 これからは、ほんとうに、気を付けます。

 



 

 

 

 

 


<文中敬称略>