今日からショップを開けている。
まだまだ正月三が日という事で、ショップの前の人通りは半端なく多い。
ここを通られるという事は、そのほとんどが総社なんだろうな。
護國神社だったら、大手前や御幸通りをそのまま直進してるはずだろうし。
やっぱり姫路の人は総社なんだね。
皆それぞれに地域の氏神様があって、
小さい頃からそこに初詣に行くという習慣が続いているという事。
ぼくの実家は赤穂。赤穂と言えば大石神社。
今住んでいる網干というところでは、魚吹八幡神社。
以前に住んでた英賀保というところでは、英賀神社があった。
そんな風に、ここならここというのが存在する訳だ。
それこそ日本の誇る文化という事になるんだろうね。
ぼくは個人的な思想からいけば、護國神社にお詣りしたい。
訳の分からない神話の神様や祟りによる信仰にはあまり興味がない。
護國神社は、戦争で日本のため命を落とされた英霊がお祀りされており、
それこそ、真剣に感謝の気持ちでお祈りするにふさわしい神社だと思っている。
ただ氏神様というのは大切にしたい気持ちもあり、
地元の神社とはいつまでもお付き合いをしなきゃいけないとは思っている。
この度、円教寺とのお付き合いが始まったこともあり、
今年の元旦は、円教寺にお参りした。
お寺にお参りするという感覚は今まであまりなかったものだから、
改めて、仏様に初詣することが新鮮で、これはいいもんだと実感した。
人は年齢を重ねるごとに、人生への懺悔のようなものが芽生え、
それ故に、仏様に頭を下げるという事が日常になってくるものだ。
お寺という存在はそんなぼくたちを包み込んでくれるありがたい存在。
キリストも含め様々な宗教が混在する日本。
この国に生まれたからこそのありがたみというものもある訳で、
そういう意味では、初詣ひとつとってもなかなかに興味深いものなのである。