続きです。
およそ議論などとは呼べない「対話」を切り上げて家に帰り、それから2、3日経った頃。その日の夕方、またあの勧誘員が訪ねて来た。
私を担当した女性信者から何も聞いていないのか。面食らった気分だった。私は前回及び前々回の訪問時の話をして、「そういう訳ですので、もうそちらに行くことはありません。お引き取り下さい。(ò_óˇ)」と追い返した。
…筈だったのであるが
それから1時間後。再びチャイムが鳴る。鳴らしたのは勧誘員の女性信者だった。
この瞬間は本当に気持ち悪かった。
1時間、ドアの前にずっといたというのか。もはや背筋に寒いものを感じる勢いだ。こちらの迷惑をよそに、女性信者は「私なりに考えたんですが、どうしても納得がいかないので…(˘・_・˘)」などと抜かす。
「あなたが納得するしないは関係ありませんよ。お帰り頂けないなら警察を呼びます。(ò_óˇ)」と言ってドアを閉めた。
別れ話のもつれじゃなかろうに。自分の親ぐらいの歳の人間にこんな事をされて、気持ち悪くて仕方が無かった。だが、また来られても困ると思った私は、翌日の午前中に統一教会の支部に自ら向かった。
支部に着いてすぐに、表にいた信者と思しき女性に昨日の事を伝えて中に入る。この時私の相手をした女性信者は、前回と前々回の訪問時に同じ室内で別の人の相手をしていた人だった。彼女は当然ながら一部始終を見ていた為、話が早かった。
前回の訪問時で「もうここに来るつもりは無い」と意思表示をしたにも拘らず、再びやって来る勧誘員。その話をしてからこう言った。
「もう二度と訪ねて来ないで下さい。私も今日限りここに来る事はありません。たとえ何処かで偶然鉢合わせたとしても、何もしないで下さい。声もかけないで無視して頂きたいです。私も無視します。」
「訪問は勿論、挨拶だろうと声掛けだろうと、何か一つでもされた場合は迷わずその場で警察を呼びます。(ò_óˇ)」
キツ過ぎる言い方だとは思う。しかし「昨日の件」のおぞましさを思い出すと、そこまで言わねばならない。そんな心持ちだった。
だが私の相手をしている女性信者は、不満やそういった感情を出すことも無く、落ち着いた感じで話す。
「お話の内容は承知しました。◯◯(勧誘員)には重々言っておきます。また◯◯以外にも、私共がそちらに訪ねる事はいたしませんので。(*゚ー゚*)」
…と、終始穏やかな雰囲気で対応してくれた。彼女からは物腰の柔らかい理性的な印象を受けた。それは良かったが、だからこそ逆に「何でこんな人がこんな所にいるのか」と、疑問でならなかった。
この会話が終わった時、年配の女性信者が私達2人に話しかけて来た。
「今のは◯◯さんの事よねぇ…あの人と△△さん(初日の若い女性信者)は、ちょっと思い込みが強いと言うか、突っ走っちゃうところがあるからねぇ…(๑•﹏•)」
私の相手をしている方の女性信者も、その言葉を否定しない。「まあ、そうですね…(٥↼_↼)」と、同意している雰囲気だ。同じ信者からそう言われるとは、よっぽどなんじゃないだろうか。
「2人とも家庭で色々あった人だから、まあ…ちょっとね…ごめんなさいね。(*゚ー゚*)」
年配の女性信者も物腰が柔らかく、まともな人に見えた。この人から「初日の2人」について掻い摘んだ話を聞いた。
・勧誘員の女性信者は前の夫が酷い人だったらしく、離婚後に入信。再婚しているらしい。
・初日に会ったもう片方の(一番ブッ飛んでいる)若い女性信者は、家庭環境が宜しく無く家庭内暴力もあったとか。そして実家を出て入信。未婚。
その話を聞いて、初日の事を思い出す。
「私達(の信じる)教えは必ず正しい世界に辿り着けるんですよ! 素晴らしいと思いませんかっ!?(≧▽≦)」
…という台詞とあの異様なテンション。
彼女にとって、「実家の事」は「自分の本当の人生」ではなく、入信してからが「本物の人生」ということなのだろう。
本人の中ではそうなっているに違いない。故に教団とその教えを肯定する事は「自分を肯定」する事であり、それ以外は自分の人生、そして「自分自身」を否定されるに等しい訳だ。
だからこそ支部にやって来る人間の前であんなにウッキウキなのだ。
それは本人の中では「『教団とその教え=自分』を肯定しに来てくれた人」だからだ。
以前に書いたブログ記事でも述べた「アイデンティティの代用品」。統一教会での話は、これに合い通じるものがあると思う。
クソサヨク共は「日本=悪」の構図からは絶対に離れようとせず、その主張に沿う内容であれば荒唐無稽なモノでも平気で飛びつき、「己は正しい側」と息巻く。客観性を著しく欠きながら。(加えて、否定すれば嘘八百で貶める事も平気でやる。)
全ては誰の為でも無く、「アイデンティティの代用品」たる己の拠り所を守る為である。
新興宗教、ネトウヨ、クソサヨク。カルトと化しているものは何れも同じではないかと、私は思う。
統一教会については結局それ以来、教団の人間が訪ねて来る事は無かった。
会った信者はいずれも女性で、それぞれ異なるタイプの人達ではあったが、皆「なるべくしてなった」という感じだろうか。もしくは「拠り所」とすべきものを間違えたか。(勿論、「統一教会は騙してなどいない」などと言うつもりは無い。)
「その国の民(日本人なら日本人)」としてのアイデンティティを、己の中に確立し自立しておれば、カルトになどそうそう引っ掛かる事は無いのではないか…そう思うのであるが。