そしてまた、私の記憶から遠ざかっていた2年前に突然退会してしまった〇〇〇さんのことも、ふと思い返してみました
彼のことを仮にBさんとします
Bさんとなにをキッカケにして知り合い、相互followしあってたのか?…大概の方々との出会いや馴れ初めを私はよく覚えているのですが、彼との出会いはあまり覚えてないのです
ただ、在日外国人といった共通の立場であることに関心を抱いた私がblogへおじゃまして初めてコメントをのこしたときのことはよく覚えてます
→アンタがいきなりコメントしてきたんだよ。
そのとき、いつものごとく、つい長くまとまりのない文章となってしまい、文末でそのお詫びを告げましたら
『一生懸命に伝えようとなさってるそのお気持ちは伝わります』といったコメントを返してくださったこと
また、日本の皇室の人の話題のblogにおいて、天皇とその人の続柄の呼び方をふいにお尋ねしたとき、わざわざ律儀に調べてもくださったこと
BさんだってAmebaを本業にしてる人ではありませんし、忙しい時間の合間をぬってログインされてるはずでしょう
丁寧で親切な対応をなさるBさんの誠実さに、当時の私は好感もっておりました
→「大人の対応」です。皇室云々は記憶にございません。
→「忙しい合間ぬっている」俺に、コメントをドカドカ送ってきたのはアンタですけどね。
こんなこともありました
かつての私は、初見の人に対して、いくつか前のblogまで遡って拝見するといったクセ?がありま して(今ではそのクセなくなりましたが)当然、彼に対しても…
そこでたまたま目にしたのが、『生理的にゲイの人とは友だちになれない』といったようなタイトルで綴られたblogだったのです
私は、『ゲイの人たちにも好みはあります。あなたのことを好きになるかどうかなんてわからないし、友だちになれるかどうかもわからないのに?!』
『不特定多数の人たちが目にするこのような公開blogで、当事者がみたらどう思うのか考えてみてください』
思いあがりじゃないの?バリアー張った差別者なの?
タイトルだけをみて、短絡的にそんなふうに感じてしまった私は、不躾にそれこそろくにblogを読まずに、失礼なコメントをしてしまったのです
→本当に失礼。40の大人のやる事じゃねえ。
そのとき、Bさんから
『あなたが求めるボーダーに達してないからといって、これから変わろうと一歩を踏み出そうとしてる人間に対し、このような批判をなさるのか?まず、きちんとblogを読んでください。あなたの気持ちも、わかるけど…』
といった言葉でもって、一喝されたことは忘れもしません
再びそのblogに目を通してみると、日本のLGBTの青年とその家族の記事を取り上げながら、同性同士の婚姻が合法されない日本の現状に疑念を感じるといった内容でした
『ゲイの人とは友だちになれない』という彼の日本語は、もしゲイの人から求愛されても、自分はそれに応えれず、共に傷ついてしまう恐れがあるから、迂闊に友だちになることに躊躇いがあるといったニュアンスだったのです
『思いあがり』なんかじゃなくて『思いやり』であったのです
これも人によって、その捉え方はさまざまでしょうが、私はそう解釈しました
だからほんの一瞬でも抱いた自らの大きな誤解に気づかされ省みた私は、その場で丁重に謝罪をしたのです
すると、
『今、妊娠中ですよね…』と気遣っていただきながらも、どこか苛立ちを隠せない様子で
『反論などあれば直にblogへコメントなさるのでなくて、ご自分のblogで書いてください』と。
そして『今後は、どうか長い目でみていただきたい』と。
→どうしようもないレベルの◯鹿だと、この時点では分かってませんでしたからね。「大人の対応」しますよ。アンタに対する好意じゃないのよ。
『反論などあれば直にblogへコメントなさるのでなくて、ご自分のblogで書いてください』
→每日のように「自分アピール」コメントがガンガン来るのでウンザリ。時間取られてウンザリ。「俺への反論等を自分のブログで書いて」なんて言ってねえ。
「アメリカはこうなの! 私はこうなの!(≧▽≦)」…的な話は自分のブログでどうぞ、って話よ。
それからまもなく
このblogのなかでも、彼からコメントいただいてますが…
ちょうど今から3年前のことです
当時の私は、ご覧のとおりBさんとは違った主張でした
このとき私なりに調べたもの、そこから感じとったことを書き綴りました
US各地に建てられてる慰安婦像
アメリカ人と結婚しCA在住の友人(日本人)は、右派でも左派でもありません。どちらもキライだといいます
慰安婦像が原因で日本人差別を経験したために、その建設において猛反対していました
CA州では裁判により、慰安婦像を撤去することとなりましたが、全米ではあちこちで建設されていく…
にもかかわらず、私のまわりのアメリカ人の多くは中東のことに関しては詳しくても、東アジアの歴史には疎くて、特に若者世代では『慰安婦』というものを理解していなかったりもします
恥ずかしながら私もそのひとりといっても過言ではありませんでした
なんとなくのイメージで、慰安婦=戦時中における婦女暴行の被害となった女性といったものを抱いていただけでした
→「慰安婦像設立運動に積極的に参加していた」と言っていたと記憶しておりますが
そんなまっさらクリーンに近い状態の私が、東アジアンのリア友だちに尋ねてみたり、身重な身体で図書館通いした、その時間はとても充実してました
自ら知らないことを調べながら、新たな発見がみつかって、それが知識として身についていく…その過程で味わう感触は、たとえ、誰にも評価されず認めてもらえない結果になったとしても、自身にとってはとても楽しくて達成感があります
なんともいえぬ心地よさと有意義なものであることに変わりはありません
歴史に限らず、音楽、アート、算術、料理、観劇、園芸、文学など…、すべてのあらゆるジャンルにおいて、共通していえることだと思いますが、自己満足からなる自己肯定感は、人が生きていくうえで欠かすことのできない、とても大切なものであるから。
→「日本は謝罪すべき!(。•́︿•̀。)」…と言って聞かないアンタを俺が論破したのがキッカケの筈なんですが。何を美談の様に語ってんの?
そんななか、書き綴ったこのblog
拙いながらも、ありがたいことにさまざまな考えの方々がコメント寄せてくださいました
そんな矢先の出来事、このblogをUPしてからわずか1週間後のこと
私にとっては『レイプ』といった言葉をはき違えられ、ネトウヨ疑惑が生じ
Bさんにとっては『強制連行はなかった』という持論を真っ向否定され、集団による通報により幾つものblogが削除されたのです
当時の私はnervousな状態に陥り、自分が先にあげたblogがキッカケで、このようなトラブルを引き起こしてしまったんだといった、ひとりよがりな責任感?いゃ勘違いを抱いては、要らぬ自責の念が芽生えてしまっていたのです
そしてこのblogをご覧になってわかるように、私は三〇さんに対してBさんへの謝罪を促しては、和解を望んでいたのです
当時ひたすら、彼女のことを叩きまくってるblogをUPしてたBさんがいて
『私は〇〇〇さんに謝罪しました』といったコメントを、このblogでわざわざ私へ寄越してこられた三〇さんがいて
彼女のこの言葉に耳を傾け、そのまま鵜呑みに信じこんでしまった私がいたのです
早くこの炎上が鎮火することを願うばかりの思いで、当時私はBさんと接してたのです
再三にわたってblogが消され続けても、ご自身なりの正義を貫こうと孤軍奮闘されていた、そんなBさんの気持ちに寄り添うどころか、理解しようともせずに…
今、こうしてふり返ってみながら、つくづく愚かであったと思います
彼にとって至らぬfollowerでありました
多くのblogが削除され、しばらく休眠して再び復帰してこられたとき、Bさんが私へ言い放った2語『三〇』、『保身』
当時の私にはなんのことだか、さっぱりわからなかったけれど、おそらくこのことだったのでしょうね…
自分が仲介できるのなら…と、大きなお腹を抱えながら、当時は真剣にそう考えてたのですから。
イイ人を装おうとしたつもりはないけれど、結果的に私はそういう振る舞いをしていたわけなのですから。
→自分のコミュニティにヒビが入るのが嫌、自分に対するストレスから逃げる為に
アンタは俺に、仲介ではなく「泣き寝入り」を推奨してたんですが。
あるとき、私からのアポに一切返事を返すことなくなったBさんは、のちに、私宛の私信としてblogをUPされ、このように書かれていました
『れもんさんは自分があげたblogで、俺のblogが削除されたと勝手にひとりで責任を感じているようだが、それはちがう
あなたがblogをあげようと、あげまいと、三〇さんとはこうなることが目にみえてた。ここしばらく私があなたからのメッセージを一切無視し続けてたのは、それが理由なのです』と。
→いや、違いますけど!?(‘◉⌓◉’)
何なの、この身勝手な脳内変換は。
Bさんとやりあっていたとき、当時相互followしあってた私たちは、互いに相手をリブログしあうやり方で、その気持ちを互いにぶつけ合っていました
共に通報され消されたblogもありながら、私のblogのなかには、そのときの痕跡がいくつか残っています
あるとき、Bさんは三◯さんからの謝罪メッセージを公開しblogをUPしました
いわゆる無断転載となる行為でありましたが、そのblogによって、ようやく私は自らの誤解と愚かさに気づかされたのです
これまで私が信じきってしまっていた三〇さんの謝罪メッセージ
それは、私が思い描いてたものとは大きくかけ離れたものでした
→それを2年前の段階で、テメェのブログで(証拠貼って詳細に)言っとけば、少しは話が違ったんでしょうけどね
とはいえ、かくいう私も
当時、〇kinawa〇isu〇さんのblogをみて、勝手な私のネガティブな思い込みでもって、彼と〇かく〇さんへ通報犯の疑いをかけてしまったことがあります。そのうえ、無断でスクショしたものを投稿をしたのです
これに対して、〇kinawa〇isu〇さんも、かつて私のblogをさんざんスクショして投稿されていたことを主張し、だから暗黙の了解でおあいこでしょう?!と開き直っていたのです
三◯さんの謝罪メッセージについて、とやかく言える立場ではありません
どんだけ私は甘ちょろく、思い上がった人間なのだ?
→本当にそう思うなら、今からでも2人の名誉回復せえや。
更に言えば、「私がこんな人達と仲良くしてたから(俺が)怒ったんですよね」、というお前の意味不明な妄想からこの件は起こりましたが
人は誰しも過ちを犯すものであります。トラブルには双方に原因あるもの
→いいえ。二人に対する名誉毀損、そして俺をブチ切れさせた件、原因はお前にしか無い。
私だけが悪いわけじゃないっていう主張もさることながら、私はそういった定説を自分に対しても強くあてはめていたのです
決してやってはいけないことを犯しておきながら…
おふたりとは、かつて親しくさせていただいてたこともあり、馴れ合いになってしまったところもありました
距離感をわきまえずに甘えにつけこんでしまいました
以前、おふたりから謝罪をせがまれたようなかたちで、謝罪blogをUPしたことはあります
また〇かく〇さんから謝罪をせがまれて、彼のもとへ謝罪に伺ったことはありますが、これらの謝罪もまたなんか違う気がしてます
→一方的にありもしない罪をでっち上げて断罪し、その名誉回復もせず、その上で
「謝罪をせがまれて」だと!?
どんだけ偉いんかアメリカ人は。
自分がきちんと反省できたとき、自らすすんでじゃなければ謝罪の意味はなく、謝意も誠意も伝わらないものだと、今もって思うことです
『どうか長い目で…』
あのとき交わした約束を果たすことも叶わず、私たちはともに、互いに対してネガティブな感情を抱いたままお別れするかたちとなってしまったことは、とても残念でなりません
ただ、今の私には、あのときの自分には気づなかった今になってみてようやく客観的に当時をふりかえってみたことで気づけたことがあります
退会してしまったBさんへ伝えることはできませんが、ここにこうしてその意を表すとともに、今、私をとりまく人たちのもとで、自分が何をすべきなのかを今後はきちんと察することができるよう、自身を高めながら変わっていけるように、日々努めていこうと思ってます
Bさんが、Amebaを退いてから2年がたち、今どうしてるかはわかりませんが、もし仮に復帰されているとして、再会したなら、その時には
『(いい意味で) 変わりましたね』
互いにはにかみあいながら、さらりとそう言い交し、きれいなお別れすることできたら光栄です
→いつの間にか「退会した」事にされてますが、俺は退会したのではなく、テメェのクソフォロワー共の集団通報でBANされたんですが!?
この病的な脳内変換、韓国人もビックリよ。
もし仮に復帰されているとして、再会したなら、その時には
『(いい意味で) 変わりましたね』
互いにはにかみあいながら、さらりとそう言い交し、きれいなお別れすることできたら光栄です
→ありえん。寧ろこのクソポエムで怒り再燃ですわ。
アメリカ人というのは、どこまで身勝手なのだろう。2年経てば多少は記憶も曖昧なる事はあろう。それを加味しても、この脳内変換は酷すぎる。
アメリカ人というのは、どこまで◯鹿なのだろうか。己の主観が事実であり、現実であり、真実。己の気持ちと自己都合ばかり。しかもそれを「主張」しやがる。
ああ、クソアメリカ人。許せねえ。それを支持して称えるクソフォロワー。全て許せん。