前々回のブログ記事の中で、「『国旗を踏めるのか』とわざわざ質問して、『踏める』と答えた友人にブチ切れた」…というエピソードを紹介しました。

話の流れ上「ブチ切れる」パターンはありますが、説明の為に敢えて「国旗を踏めるのか」という質問を交えて話をする事の方が多いです。

特に学生の頃の私は、それをよくやっていました。今回は、その内の1つであります。




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大学2年のある日。私は同級生のA君から質問された。


A君「◯◯君(私)って韓国人なん?(⁠。⁠・⁠ω⁠・⁠。⁠)⁠ノ⁠」

私「そうよ。国籍が韓国やからね、在日韓国人ってやつよ。(⁠・⁠∀⁠・⁠)」

A君「でも日本で産まれて日本で育ったんよね? だったら日本人やないの?(⁠ ⁠・⁠ω⁠・⁠)⁠」

私「いや、日本人じゃなくて韓国人でしかないよ。帰化しない限りは国籍そのままやからね。(⁠๑⁠•⁠﹏⁠•⁠)」

A君は私の説明に首をかしげる。「中身は日本人」とか「文化的には日本人」とか、そういう解釈の話でも無いようだ。

さて、どうしたものか。少し考えて私はこう切り出した。


「在日も似たようなモンやけどさ、今の日本人って『国という枠で考える頭』を無くしてるって思うんよ。A君が分からないのも、そういう事やと思うのよ、俺。」

A君は更に「分からない」といった表情になった。「まあ、そうだろうな」と思いつつ、私は「ではこんな話はどうか」と、続けた。


私「あくまで『例えばの話』やけども、A君は『日本の国旗を踏め』って言われたら踏める?」

A君「ああ…う〜ん…まあ、踏めるね。(⁠o⁠´⁠・⁠_⁠・⁠)⁠」

私「じゃあさ、佐賀県(A君の出身県)の旗とか、自分の母校の旗とか、同じ様に『踏め』って言われたら、どうなん?」

A君「いや…いや〜、それは出来んやろ。(⁠。⁠ŏ⁠﹏⁠ŏ⁠)」

私「そうよね。でも『日本の国旗』だったら『踏める』と言えてしまうわけよ。」






A君は「まあ、確かに…」といった感じの表情で、考えながら私の話聞いている。すぐに感情的にならず、能動的に人の話を聞ける人はありがたいものだ。A君がそういう人だった。

そして私は更に話を続ける。


私「じゃあ一旦、俺が韓国人だということは忘れてくれ。 そこで福岡県民の俺が、佐賀県民のA君の前で、わざと佐賀県の旗をグリグリ踏んでたら…怒るよな?」

A君「まあ、そりゃ怒るわ。怒ると思う。(⁠。⁠ŏ⁠﹏⁠ŏ⁠)」

私「で、それを『国という単位』に置き換えてみようや。」

A君「…?(⁠ ⁠・⁠ω⁠・⁠)⁠」

私「韓国人の俺が、日本人のA君の前で日の丸をわざと踏みつけたらどうよ? 多分、A君怒らんやろ?」

A君「…そうやね。『なんでそんな事してんのかな』、とは思うやろうけど。(⁠˘⁠・⁠_⁠・⁠˘⁠)」

私「じゃあ逆は? 日本人のA君が韓国人の前で韓国の国旗をわざと踏みつけたら?」

A君「絶対怒るよな。ブチ切れるんやないかな。(⁠。⁠ŏ⁠﹏⁠ŏ⁠)」

私「そうよね。俺も眼の前にでわざとそんな事されたら、俺自身キレると思う。 でもA君は日本の国旗をわざと踏まれても怒らんわけよ。 『何故そこで怒らなきゃいかんのか』って、寧ろ疑問に思ってしまうんやないかな。」

A君「う〜ん……そうやねえ…(⁠。⁠•́⁠︿⁠•̀⁠。⁠)」





A君は「分かるようで分からない」様子。ここで私は沖縄出身の「B君」を挙げた話を追加する。


私「ちょっと別の話するけど、B君って沖縄出身やん。 B君は『内地からの移住者』じゃなくて、『先祖代々の琉球の人』やん。」

A君「うん? …ああ、そうやね。前にその話題になって、琉球についてアツい感じで話しとったわ。『誇り持ってる』って感じやね。」

私「そのB君の前で、琉球を象徴するような『琉球の旗』とかわざと踏みつけたら…どうなる?」

B君「間違いなくブチ切れるやろね。ブッコロされるわ。(⁠。⁠ŏ⁠﹏⁠ŏ⁠)」

私「俺もそう思う。 で…A君は『佐賀県の旗』、『母校の旗』、『俺の前で韓国の旗』、『B君の前で琉球の旗』…これは分かるわけよ。 でも『自分の前で日本の旗』になると、そこだけ分からんわけよ。」

「つまり、『主語が日本になった時』、『日本という国の枠での話になった時』、その瞬間に頭が止まるのよ。」

A君「あぁ…うん。(⁠‘⁠◉⁠⌓⁠◉⁠’⁠)」



A君はそこでハッと気付いたか、と言えばそうではなかった。気付けるようでそこに辿り着けない、もどかしそうな感じだった。しかしそれは無理もない事だ。

それまで考える機会もなければ、その様な価値観を育て醸成する場も無かったのだから。


A君には冒頭の『佐賀県民と福岡県民、日本人と韓国人の形の例え話』をもう一度して、「まあ、こういう事考えてみるのも悪くないよ」と、その場ではそれで終わった。あとは時間の問題。A君に気付く日が早く来る事を祈るだけであった。
(A君はその後、自分なりに分かってくれたようであった。)

A君に対しての話は、気付かせると言うよりは「根付かせる」と言った方が正しいだろう。こういった事は、別に焦っても仕方ない。

人間誰しも「ハッと気付く」事はあるだろう。自分の中に育った価値観や概念、蓄えられた知識や情報、常識や世間知、等々…様々なものが「気付きの根底」にある筈だ。(子供の頃ならば「発達・成長」の類であろうが。)

それらが全く醸成出来ていない分野において、「気付き」に時間がかかるのは、致し方の無い事である。



だからこそ、「国旗を踏める」と答えたから即クソサヨクと断定するのは、早計を通り越して誤りだと思う。

ただ「今は分かってないだけ」、或いは「今まで無自覚だっただけ」の人は割合多いと、私は思う。何より、「国という枠で考える頭」を醸成する教育を、日本は長年やっていないのだから。

一方で、「故郷・都道府県の枠で考える頭」は大体皆持っている。

故に「都道府県という枠」で話をして、その話を「国という枠」に置き換えてもう一度話す。この手法を私はよく使う。